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事件!?自殺!? 芸能界の未解決事件を見ていくと驚愕の事実が浮き上がってきた...

事件!?自殺!? 芸能界の未解決事件を見ていくと驚愕の事実が浮き上がってきた...

ケント : こんにちわ、ケントです!
今日は芸能人の事件をご紹介します!!


ヒロミ : なんだか本当のとこってわからないですね….


芸能人の未解決事件…

伊丹十三

【生年月日】1933年5月15日
【没年月日】1997年12月20日
【職業】俳優・映画監督
【映画】お葬式(1984年)タンポポ(1985年)マルサの女(1987年)

1997年12月20日、伊丹プロダクションのある東京麻布のマンション下で遺体となって発見された。
事務所にワープロ印字の遺書らしきものが残されていて、そこに「死をもって潔白を証明する」との文言があったが、死の真相は依然として謎である。

写真週刊誌「フラッシュ」により不倫疑惑が取り沙汰されたことに対する抗議の投身自殺とする説や、「ミンボーの女」公開後に襲撃事件があった経緯から、当初から暴力団の関与を疑う声はあり、映画「マルタイの女」を快く思わない暴力団や某宗教法人が関与したという説もある。
また、伊丹は自殺の5日前まで、医療廃棄物問題の取材を続けており、その問題を追及していて殺されたとする説もある。

【伊丹十三襲撃事件】
1992年5月22日8時40分ごろ、世田谷区自宅付近のマンション近くの駐車場で、映画監督の伊丹十三(当時55歳)が、車から降りようとするところを複数の男に襲撃されて、左顔面、くび筋、耳などを鋭利な刃物で切られ、重傷を負った。
伊丹は当時民事暴力介入をテーマにした映画、「ミンボーの女」を制作。5月16日に公開がスタートしたばかりだった。そして事件から6ヵ月半後の12月3日、警視庁は後藤組組員5人を傷害の容疑で逮捕。5人は同月末に全員起訴され、その後、懲役4~6年の実刑判決を受けた。

岡田有希子

【生年月日】1967年8月22日
【没年月日】1986年4月8日
【職業】アイドル歌手

日本テレビの『スター誕生』の第46回決戦大会で優勝。桜田淳子や松田聖子らを輩出していたサンミュージックから、アイドル歌手としてデビューし、ポスト松田聖子として期待された。
あっという間にスターの座に上り詰めたが、絶頂期を迎えた1986年4月8日にサンミュージックの屋上から飛び降り自殺を図った。

【自殺の原因】
岡田はTBSドラマ『禁じられたマリコ』で共演した、かなり年上の俳優の峰岸徹に弄ばれたとか、彼の子供を妊娠したとか、それらが自殺の原因かのような無責任な憶測や噂が飛び交ったんです」(ワイドショー関係者)
死後に岡田が残した一冊のノートが発見される。その日記風のノートには、相手の男性の名前(峰岸徹)はもちろんのこと、彼女が峰岸を思い、そのことがうれしくて、喜ぶさま。一方で、その恋は成就することがないと判断し、真綿でクビを絞められるような苦しみが克明に綴られていたという。(日刊サイゾー)

【怪文書】
実は岡田有希子が思いを寄せていた男性は神田正輝だという話がある。神田は松田聖子と結婚するが、妊娠したことをニュースで知り、その翌日自殺したという。
さらに、岡田有希子は神田正輝の子を妊娠していたという噂まで流れた。

上原美優

【生年月日】1987年5月2日
【没年月日】2011年5月12日
【職業】タレント

【事件】東京都目黒区のマンション自室で交際中の一般男性と過ごしていたが、「2時間ほど一人にして欲しい」と男性を外出させた。その後、外出先の男性の携帯電話に死をほのめかすメールが着信し、折り返し電話をかけても彼女が出なかったため、男性が上原宅に向かうと、自室のドアにスカーフとベルトで首を吊っており、5月12日午前3時37分に病院で死亡が確認された。

【謎のメモ】所持品の手帳には「お母さんが死んで辛い。このままのスタイルで仕事して先行きどうなるか」というメモが残されていたが、これとは別に解読不明のなぐり書きのようなメモ(写真)を残している。メモには「隼床躬行手残」と記されているが、美優さんの出身地である種子島に森の中の小屋に同じメッセージ(隼床躬行手残)が残されており、謎を深めている。

このメモの画像に関して、漫画家の赤星たみこさんが自身の父が亡くなる直前に書いたものだと明かし、注意を呼びかけた。これは赤星さんが2008年10月31日付のブログで公開したもの。3年前(当時)に亡くなった父がその12時間ほど前に書き遺したもので、赤星さんはその困難な解読の協力をファンに求めていた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141111-00000017-rbb-ent

【AV監督村西とおるの告白】
命をおとされた上原美優さまの男も、今や芸能界の悪の権化と化した「なんとか連合」の幹部でございます。先頃海老さまが伊藤リオン受刑者に殴られた現場に居た、海老さまと相対していた張本人でございます。
一部のマスコミ報道で美優さまと死の二時間前まで一緒にいて、美優さまの首吊り死体を発見した「某飲食店に勤める黒服の恋人」と称されている男でございます。この男の正体は某飲食店に勤める黒服の恋人、などではなく美優さまが所属するプロダクションのトップの男でございます。そしてバリバリの「なんとか連合」の元幹部でもございます。
かねてから美優さまは働いても働いても喰うだけが精一杯のギャラのその安さに心底疲れて芸能界で活動することに絶望していました。先に天国に行ったお母さんのもとへ行きたい、と思いつめていたのでした。そしてヒトデナシの野郎が監視の目を離したスキに首を吊ってお母さまのもとに旅立たれたのでございます。
報道では美優さまの手書きの遺書が残されていて、それが何を書いていたか分からないほどに乱れていた、とあたかも美優さまが心を病んでいたかのような状況証拠が伝えられておりますが「ねつ造」でございます。立ち会っていた男が美優さまの心神喪失として遺書を誤魔化すために現場を作り上げたのでございます。(引用:村西とおるのブログ)

(某芸能プロダクションは村西とおるに対して、名誉棄損の訴えを提起していたが、第一審は勝訴している。現在村西側は控訴している。)

飯島愛

【生年月日】1972年10月31日
【没年月日】2008年12月27日
【職業】AV女優 タレント

【事件】2008年12月24日、東京都渋谷区桜丘町の渋谷インフォスタワーの自室にて死亡しているのが親戚の女性によって発見された。
その後、警察の調査によって、発見時から死後1週間ほど経過していたことから、死亡推定日は12月17日前後とされている。
しかし、24日に担架に乗せられて運ばれる飯島さんを見た人が「苦しそうな表情」「顔色が悪かった」と話していることが報道されており、この話が真実であれば、死亡推定日時には生きていたことになる。

【死因】
通常1週間ほどで出る病理検査の結果が遅れたこともあり、さまざまな憶測が乱れ飛んだ。
遺体から覚醒剤反応が出たという噂が流れたが、結局2カ月後、直接の死因は肺炎だと警察が発表。しかし、その後も別の薬物による死亡説、飯島が始める予定だった女性向けコンドーム会社を巡る金銭トラブルなど、“死の謎”が、さまざま報じられた。

【女子高生コンクリート詰め殺人事件】
事件当時(1988年)、飯島は主犯の少年と交際していて、被害者の監禁場所に居合わせることもあり、事件現場で被害者の少女の顔にマジックで落書きをした人物こそが飯島愛だというのです。
飯島と交際していたとされる主犯の少年は懲役20年。2008年ごろに刑務所から出所したと言われている。元恋人が社会復帰することで、事件への関与が明るみになる可能性もあったのです。
このネットの噂について、飯島愛はブログで「私は殺人事件に関わった事実はありません」と否定していた。

【薬物使用疑惑】
彼女が死亡しているのが発見されたときに、渋谷署の捜査員は禁止薬物の検査キットをマンションに持ち込んでいます。実は、亡くなる一年近く前の2008年1月の深夜、彼女が一人で渋谷署の受付にふらりと現れ、『クスリを飲んでおかしくなっちゃった』と切り出したことがあったのです。このときは尿検査をしたものの禁止薬物が検出されなかったので自宅に帰したそうですが、以来、渋谷署は彼女をマークしていました。(週刊文春)

【ASKAとの交際】
報道で飯島さんが死亡していたことが明らかになると、ASKAが突然パニックを起こした。信頼する芸能界の有力者やごく一部の後援者らに、「どうしよう、やばいことになった」と相談に行くようになった。
その内容というのが、「彼女が亡くなる数カ月前に彼女のマンションでMDMA(合成麻薬)を使って交友していたところをビデオに撮られてしまった」というものだったのです。
ビデオについては、ASKAの説明によると、「自分が知らないうちに彼女がビデオで撮っていた」と言っていた。そのピデオテープは、飯島さんの死亡が明らかになってから、「警察がマンションに来るまでのあいだに持ち去られてしまった。持ち去ったのは、彼女の知人の会社社長ではないか」とも言っていました。(週刊文春)

【接点は運転手】
ASKAの元ドライバーX氏はASKAの他に、こちらも薬物疑惑が報じられた元大物アスリートの運転手を務めているとの情報は既に報じた。
さらにこのX氏は飯島さんの個人事務所にかつて在籍し、身の回りの世話をしていたことが本紙取材で判明したのだ。
2006年11月、飯島さんが自身のブログで個人事務所の経理担当者の男性に大金を横領されたことを公表。当時を知る関係者が声を潜めて「持ち逃げされた金額は1億円にこそ達しないものの、かなりの大金だった。X氏はケータイ番号も変え、音信不通に。ただ不思議なのはそれほどの大金を横領されておきながら、飯島さんが警察に被害届を出さなかったこと。(東スポ)

【スマイリーキクチ中傷被害事件】
1999年から2009年までの約10年間、ネット上で「キクチがコンクリ事件の犯人である」と誹謗中傷を受け続けた事件。2009年1月までに中傷犯19人が検挙され、7人が検察に書類送検された。
事件の犯人は未成年であったため、少年法の規定により匿名報道となっていた。ネット上では「出身地が犯行現場である足立区」「犯人グループと同世代」「10代の時にグレていた」芸能人として、キクチがコンクリ事件の犯人として扱われるようになっていた。

川田亜子

【生年月日】1979年1月17日
【没年月日】2008年5月25日
【職業】元TBSアナウンサー・タレント

2002年にTBS入社し、2007年に退社。
その後フリーアナウンサーに転身し、同年の7月からテレビ朝日「サタデースクランブル」のキャスターに異例の抜擢
しかし2008年5月に発売された週刊新潮の記事「私は悪魔になったから」の記事内容から「川田亜子の様子がおかしいのでは?」と話題になったそうです。そして4日後の5月26日川田亜子が亡くなりました。

【事件】2008年5月26日早朝6時15分ごろ、東京都港区の路上で駐車中の白いメルセデスベンツ内で川田さんが死亡しているのを、通行者に発見された。
駐車していた乗用車の後部座席に練炭があり、運転席側の窓にのみ目張りがしてあった。また、車内に家族に対する遺書と思われる手紙が置かれており、他殺ではなく自殺したとされている。

【不審な点】
・仕事場へ連れてくるほど可愛がっていた愛犬が放置のままで、身辺整理もされていない。
・自殺当日も、外国人のボーイフレンド(マット・テイラー氏)と食事やデートを楽しんでいる。
・鳥越と30日に食事の約束をしてる。
・爆笑問題にも今後もよろしくと挨拶してる。
・関係者の証言によると、川田さんは運転免許を持っていない。
・ベンツの所有者は大手芸能事務所の社長(谷口元一)であるという噂がある。
・第一発見者が、前日の夜8時ごろに同じ場所で白いベンツを目撃している。(目撃者は行方不明になったという噂がある)
・ベンツの目撃者として三田署が事情聴取したのは最低4名で、このうち複数名が事件当日の未明にベンツにルームランプがついているのを見た、と証言している。

AYA(牧野田彩)

【生年月日】1980年2月17日
【没年月日】 2010年10月23日
【職業】AV女優 歌手(「L☆IS」のメンバー)

【事件】都内の自宅マンションから投身自殺した。理由は不明だが、生前から複数のジャニーズタレントと親しい関係にあったと噂され、死の直前には「自分は芸能界の大物に狙われている。殺される、助けて!」と複数の友人に電話を掛けていたようである。
その後に写真週刊誌にジャニーズタレントと彩との親しげな写真が公表されるが、自殺との関係は不明である。

【大麻3P疑惑】
2008年7月に発売された「週刊現代」で、いまやSMAPを抜いて男性トップアイドルの座に上り詰めた嵐のリーダー・大野智の”大麻3P疑惑”という記事が、大野と女性が絡んでいる写真付きで報じられた。誌面上では匿名になっていたが、その写真を提供し、「カラオケボックスで大野が大麻を吸引していた」などとのインタビューに答えたのがAYAさんだったのだ。
しかし、ジャニーズ事務所が講談社に「事実無根」と厳重抗議したことで、真相は闇に葬られた。それからしばらく経ってから、AYAさんは自身が持っていた、大野だけではなく、ジャニタレの乱痴気パーティーを連想させるような写真を、ある芸能界の有力者に預けた。その中には、AYAさんが交際してきたジャニタレが多数含まれていたようだ。この写真が業界の一部に流出、それを取り上げるメディアが出てきた。
AYAさんは自殺する直前は生活に困ってAV女優に転身していたが、もともとは”小室ファミリー”の一員として華やかに芸能界デビューした。明るい性格で、芸能人の親友も多かったと聞く。TOKIOの長瀬智也とも、長瀬が浜崎あゆみとの熱愛が発覚する前に噂になったことがある。さらに嵐のメンバーで言えば、大野だけではなく、松本潤、二宮和也、相葉雅紀とも関係していたことを、AYAさん自身が親しくしていた芸能関係者に語っていたようだ。(日刊サイゾー)

坂井泉水

【生年月日】1967年2月6日
【没年月日】2007年5月27日(満40歳没)
【職業】歌手

脳挫傷で急逝した人気音楽ユニット「ZARD」のボーカル、坂井泉水さん(本名・蒲池幸子)の死因にさまざまな憶測が飛び交っている。
自殺と事故の両面で調べを進める警視庁によると、坂井さんは26日午前5時40分ごろ、東京・信濃町の慶応大学病院の駐車場で、頭から血を流してあおむけで倒れているところを通行人に発見された。坂井さんは病棟脇にある非常用スロープ(高さ約3メートル)から転落したとみられている。

【事故説】
ある音楽関係者は「身辺整理をしていなかった。詞を書くなど、復帰に前向きだった」と自殺説を完全否定する。
坂井さんは発見時、私服で病室のベッドにはパジャマが脱ぎ捨てられていた。さらに、坂井さんはファンクラブの最新の会報にも「体調は思わしくないが、頑張っている」と前向きなメッセージを寄せていたといい、生前、自殺の兆候がなかったことを物語る。
乗り越えたとされる手すりは1階部分で、警視庁では「自殺で3メートルの高さは低すぎる」と漏らす捜査関係者もいる。

【自殺説】
「患者があれほどの早朝に、非常通路に出入りすることはない。しかも、雨が降る早朝に散歩することも不自然だ。自らの意思で乗り越えたとしか思えない。状況から考えて自殺ではないのか。病院関係者の多くがそうみている」
警視庁の発表によれば、坂井さんが手すりを乗り越えた痕跡が見つかっている。

中森明菜/近藤真彦/小杉理宇造

【生年月日】1965年7月13日
【職業】アイドル歌手

1982年にシングル「スローモーション」でデビューし、2枚目のシングル「少女A」がヒット。その後も、次々とヒット曲を出し、1985年の「ミ・アモーレ」と1986年の「DESIRE -情熱-」で2年連続となる日本レコード大賞を受賞する。
1989年、デビュー以来所属していた芸能プロダクション研音から独立する。12月31日には、近藤も同席し謝罪会見を行った。

【自殺未遂と金屏風事件】
89年7月11日、「近藤真彦宅での自殺未遂」は日本中に衝撃を与えた。
その日、明菜は近藤のマンションで、浴室で血を流して倒れていた。近藤が帰宅すると、明菜は「ごめんなさい」と泣きじゃくるばかりである。「担当医から左ひじの内側を真一文字に切った写真を見せてもらって、これは大変なことだと思ったし、傷跡が残ることも考えられたね」
研音の社長として対応に追われた花見は、あまりの傷の深さに愕然となった。切れた血管や神経をつなぐために、実に6時間もの大手術が必要であった。
慈恵医大病院の前で行われた会見では「責任はわれわれにある」と言うのが精一杯だった。なぜならば花見は、いや、研音の誰1人として明菜に会うことを許されていない。その「面会謝絶」が解除されたのは、事件から1カ月が過ぎてのことである。

この年の大みそか、紅白歌合戦と同時刻に抜き打ちの会見が始まった。明菜と、友人という形で近藤が出席。会見場には金屏風が用意されていたものの、ひたすら謝罪に徹する明菜には似合わない“背景”であった。花見ら研音スタッフは、この会見にかかわることはなかった。すべてはジャニーズ側の仕切りであり、明菜サイドには数人のワーナースタッフがついたくらいである。

涙ながらに釈明する明菜の背後に慶事用の金屏風が設けられていたことから、明菜が婚約会見と騙され、無理やり呼び出されたのではないかという憶測も呼んだ。この会見を仕掛けた“黒幕”として批判を浴びたのが、ジャニーズ事務所の“女帝”メリー喜多川副社長と小杉理宇造だ。
メリー氏が、明菜から受け取った『近藤さんはまったく関係ありません』と書かれた詫び状をわざわざ公開したことも“黒幕”説に拍車をかけた。

出典dailymotion

中森明菜 金屏風記者会見

宮沢りえ

11歳でモデルデビューし、1987年にCM「三井のリハウス」で初代リハウスガール(白鳥麗子役)を努めて一躍注目を集める。当時CMで活躍した宮沢りえ、観月ありさ、牧瀬里穂の頭文字をとって「3M」と呼ばれていた。
人気絶頂期にヘアヌード写真集『Santa Fe』を出版し話題となった。

【自殺未遂騒動】
1994年9月、京都で歌舞伎俳優の中村勘九郎(当時)さんと会った後、彼が宿泊するホテルの別の一室で左手首から血を流し、ベッドに倒れていたと言われている。
宮沢りえ側は、「泥酔し持っていたグラスで手首を切った」と自殺未遂を否定したが、ケガの直前に中村勘九郎がりえと飲んでいたことが明らかになり、不倫報道へと発展した。渦中の勘九郎も、京都映画撮影所で記者会見し、自殺未遂説を否定した。

勘九郎によると、りえと約束していた夕食を「二日酔いだし疲れているから」とキャンセルしたが、りえが泥酔状態で電話してきた。「何で彼女と飲めて、私とは飲めないの。約束したんだから、男なら来てよ」と呼び出されたという。りえはかなり酔っていたため、勘九郎が東宝の宣伝マンとタクシーで、りえの母の光子さんの待つホテルに送り届けた。りえは、「明るくドリカムの歌を歌ってたし、落ち込んでいるようには見えなかった」という。

貴花田

1992年11月27日、貴花田(現在の貴乃花親方)との婚約を発表。国民的な人気を誇っていた2人の婚約は“世紀のカップル誕生”と大きな話題となる。しかし、1993年1月27日、「人生最高のパートナーになれなかった」とコメントを発表し、わずか2か月間で婚約解消した。
芸能界での活動を重視するりえの母と、引退して女将さんに徹して欲しいタニマチ側の意見がかみ合わず、婚約破棄になったと言われている。

TAIJI(沢田 泰司) XJAPAN元メンバー

【生年月日】1966年7月12日
【没年月日】2011年7月17日
【職業】ミュージシャン(元Xのメンバー)

【事件】2011年7月11日、成田からサイパン島に向かう航空機内で乗務員に暴行したとして逮捕された。拘束中にベッドのシーツで首を吊って自殺を図り、病院の集中治療室で治療を受けていたが、意識不明になる。同月16日に脳死状態に陥ったことから、婚約者と家族が現地入りし、家族の同意を得て人工呼吸器など延命機器が外され、同月17日に死亡した。現地で遺体を確認した内縁の妻の報告によると、首に自殺の痕がなかったと言う。

中島知子(オセロ)

【事件】体調不良を理由に芸能活動を休止していたオセロ・中島知子が、家賃半年分計660万円を滞納し、訴訟沙汰になっていることが、2012年年1月に報じられた。
中島は心酔している女霊能者(岩崎理絵)と同居しており、家族・知人との連絡を一切絶っていたことから、一気に洗脳騒動に発展した。
騒動勃発から約1カ月後に所属事務所が中島のマンションに“突入”し“奪還”に成功し騒動は収束した。
ネット上に占い師の本名が公開されているが、占い師の正体や目的に関してはあまり報道されていない。

【ネットの噂】
占い師(岩崎理絵)は大分県出身の43歳の女性で、高校卒業後に上京し、歌手を目指して作曲家に師事する。ある演歌歌手と共に住み込みの弟子であった。
その後、歌よりも書くほうに才能があったので放送作家になり、アダルト文庫や吉本新喜劇の脚本を担当し、ある吉本芸人とは親友関係にあったようである。
一説によれば、オセロ中島以外にレイザーラモンHGとナインティナインの岡村隆史が被害者であると噂されている。

芸能界の薬物汚染 / 押尾学 / 酒井法子 / ASKA

【生年月日】1978年5月6日
【職業】俳優

【事件】2009年8月2日、押尾学が合成麻薬MDMAを服用したとして同年8月3日に麻薬取締法違反で逮捕された。その際、六本木ヒルズのマンションの部屋で押尾と一緒にMDMAを使用したホステスの女性の全裸死体が発見された。

なおこの事件の翌日に、酒井法子の夫が覚せい剤取締法違反(所持)容疑で現行犯逮捕され、8月8日に酒井自身が警察に出頭し逮捕されている。

関東連合と芸能界

関東連合の元幹部が暴露本「いびつな絆」を出版、また27日発売の「週刊文春」にも登場して、関東連合と芸能界の関わりを詳細に語っている。

【長澤まさみ】
関東連合関係者で、広末涼子の元夫である岡沢高宏が、最近まで長澤まさみと付き合っていた。
岡沢は関東連合の人間に借金を抱えており、連合関係者から「お前の代わりに長澤に返済してもらえ」と脅されていました。岡沢は台湾でドラマのロケ中だった長澤に電話して借金の返済資金を要求したんです。
当初は長澤も了承していたそうですが、後から「友人に相談したら絶対にやめろと言われた」と断られ、それを契機に別れたようです。

【ロンドンブーツの田村淳】
手を出した女性が関東連合のKの下に駆け込んだため、Kに詫びを入れるシーンをビデオに撮られ、多額の現金を恐喝されたことがある。
別の自称投資家Xは、資金の出所が怪しく、暴力団の資金源になっていると警視庁もマークする人物。この人物のパーティー写真に田村氏が出ていたり、なぜか親類とも繋がりがあるなど注目。

【小向美奈子】
鼠先輩のプロデュースも手がけた見立容疑者の同級生・Mが、フィリピン潜伏中の小向美奈子をAVに出演させた。小向美奈子は断固拒否するも、「逮捕されたら優秀な弁護士をつけて不起訴に持っていく」と口説き落とした。

【経営者】
海老蔵事件の舞台になった店のオーナーFも関東連合と親交が深い。Fの元にはグラビアアイドルH.Aたちが集まっていた。「グッドウィル」折口雅博会長や大王製紙の井川意高会長も「Fチルドレン」

【伊藤英明】
Fは伊藤英明と親友。伊藤英明はFを介して関東連合に人脈を広げた。

【海老蔵事件】
「海老蔵はあの事件の前にも関東連合関係者とトラブルを起こして土下座させられている。事件の日は、その場に居合わせた人から、『大げさに泣いて土下座していた』と聞いた」

【押尾学】【酒井法子】
「俳優の押尾学や女優の酒井法子との関係もいわれたが、2人とも会ったこともない」

【見立真一】
六本木ロアビル内集団暴行殺人事件の主犯格で、国際手配され逃亡中の見立真一がフィリピンの“裏ルート”を使って現地の市民権を獲得、長期潜伏に入った可能性が出てきている。
警察の調べによると、見立容疑者は事件直後、中国経由でフィリピンに入国したことが分かっており、一度は韓国経由でインドネシアへと渡って、昨年11月にフィリピンに再入国。この後、書類上は出国した形跡がないことから、捜査チームは国内のほかフィリピン潜伏の線でも行方を追っている。

【石元太一】
関東連合の元リーダー・総合格闘家。歌舞伎俳優・市川海老蔵に対する暴行被害事件に関与したと言われている。2013年1月10日、六本木ロアビル内集団暴行殺人事件に関し、警視庁は暴走族グループ「関東連合」の元リーダー(石元太一)の男ら8人を逮捕した。

【藤井リナ】
モデルだが関東連合との関係があると噂されることが多い。
海老蔵暴行事件で現場に居合わせたとか、石元太一が別の暴行事件で逮捕されたとき、藤井リナの自宅にいたと噂されている。
私生活では違法駐車を繰り返し、多額の反則金を滞納するトラブルが報じられるなど、素行不良が目立ち、8月末で所属事務所の「スターダストプロモーション」を退社することになっている。

関東連合と芸能界の関係が深まったのはAVプロダクションを経営していた、関東連合の元リーダーK氏の存在が大きいという。K氏と後輩にあたる見立容疑者が懇意になったことで、単なる不良集団だった関東連合は変貌し、芸能界や格闘技界、財界などに人脈を広げていったという。
ざっと挙げられている人物の名前だけでも、芸能界のドンことバーニングプロダクションの周防郁雄社長、エイベックスの松浦勝人社長、格闘技K-1のプロデューサーだった石井和義氏らとの関わりが記されている。関東連合のメンバーが彼らのボディーガードや運転手を務め、数々のトラブルを解決してきたそうだ。
K氏が一緒に飲み歩いていたのは、芸能界の人とか、それこそIT起業家とかより上の世代の経営者たちでしたね。そうしたつながりで、自称元JリーガーのFというヤツもいた。彼も女の子を使って、人脈を広げていました。まず女の子に、Jリーガーを紹介してあげるといってコンパの席を設けるんです。そこで手なずけた子たちを社長さんらの接待に使う。
最終的に、そうした場によく呼ばれていたのが、海老蔵事件の石元太一です。太一はFよりもだいぶ年下なので、気軽に呼べるし、「関東連合のリーダーの太一」に「先輩、先輩」と慕われているところをみせれば、社長さんらにも顔が立つ。社長さんらにとっても、ヤクザではなく、“武闘派”として街で有名な僕らを連れまわすことは、ブランドですから。(AERA)

左記の交流図がネットで流出するように、他の多くの芸能人と関東連合の黒い交流関係が噂されている。

広末涼子

2001年頃から週刊誌でバッシング記事が目立つようになった。
フランス映画「WASABI」の制作発表で、名優ジャンレノンの横で突然号泣し始めた、NTTドコモのCMをドタキャンした、渋谷から千葉県白浜町までタクシーを無銭乗車した、ドラマの撮影現場で突然ハイテンションになるなどだ。
また、ある俳優が広末と会食した時、「今日整理なんですけど大丈夫ですか」と聞かれたとTVで告白。枕営業の噂もたった。

広末涼子が17年ぶりに連続ドラマ「スターマン~この星の恋~」(フジ)で主演を務めた。ドラマのスタートを前に、「ボクらの時代」(フジ)に出演し、休業時の心境を語った。

「広末は2003年に前夫の岡沢高宏との結婚と妊娠を発表後、産休に入っています。いわゆる奇行が騒がれたのは、その数年前。タクシーの無賃乗車や、ドラマのリハーサル中に共演者を待たせているにもかかわらず、携帯電話で大声で話すなどの“プッツン”ぶりが話題になりました。
広末自身『人間らしく』という言葉を使っているように、当時は心身ともにかなりまいっていたんでしょうね。番組では『見るのも出るのも嫌になって、なんてつまらない人になっていたんだろうって』と語っていましたが、小さい頃から夢見てきた女優という場所でボロボロになりつつあったことで、かなりのダメージがあったのかもしれませんね」(サイゾーウーマン)

関東連合の元幹部による暴露本「いびつな絆」でも、ネットでは真偽不明の話も出回っている。有名女優が関東連合OBの目の前で醜態をさらしたという噂に関して、週刊文春で「それはまるっきりのウソ。ネットに出ている話は、真実もあればウソもある。」とこたえている。

松浦勝人

【生年月日】1964年10月1日
【職業】エイベックス・グループ・ホールディングス代表取締役社長CEO

週刊文春で「エイベックス松浦勝人社長の『女とクスリ』」と題した暴露記事が話題になっている。
関係者らの証言によって愛人だったとされる浜崎あゆみをスターに押し上げた経緯や、自宅などに女の子を連れ込んでは情事にふけり大麻とコカインを常習していたという酒池肉林ぶりを暴露する衝撃的な記事だ。

松浦氏が以前住んでいた南青山の地上3階・地下1階の大豪邸で頻繁にパーティが開催され、松浦氏はいつも地下1階のダンスクラブで酒を飲むと2階のベッドルームの女性を連れ込み、行為が終ると部屋の外に置かれた特等席のソファで大麻を吸うのがパターンだったと語る、元パーティー常連の証言が紹介されている。
また、「松浦さんが常習的に大麻を吸っていることは社内では有名でした」という元エイベックス社員の証言のほか、松浦氏が以前所有していた“秘密クラブ”で、当時小室哲哉と破局したショックのせいか、薬物服用で完全に酔った状態でフラフラと全裸で徘徊する華原朋美を、松浦が指差しながら「小室の彼女をヤッてやったぜ」と自慢する姿を目撃したという衝撃的な証言まで掲載されている。

【浜崎あゆみ】
16歳の時に福岡から上京してきたときに、松浦さんが「ルックスが完璧」と夢中になり、社運を賭けて大々的に売り出すことに。
当時別事務所に所属していたものの鳴かず飛ばず。チョイ役どころか死体役をやるくらいだったが、契約終了後にエイベックスからデビューしてカリスマ的歌手に。音楽業界ではふたりが恋人関係だったのは公然の秘密。しかし、あゆは当時、有名なダンサーMと二股交際だった。

【安室奈美恵】
全盛期の小室哲哉が夜な夜な催すシークレットパーティーは、TRF、globe、浜崎さん、安室奈美恵さん、華原朋美さん、EXILEのHIROさんなどが常連だった。
安室さんとSAMさんが結婚したのはこのパーティーがきっかけ。
「当時、安室は売れないダンサーと付き合っていましたが、SAMさんがパーティーで安室を口説き落とし、イチャイチャし始めた。そのうち二人の姿が消え、私がバスルームを開けると、そこには抱き合っている二人がいました。安室は半裸で、SAMさんが羽交い絞めにしていました。“できちゃった結婚”の発表があったのは、それから数ヶ月後でした」(パーティーの常連客)

【hitomi】
97年、松浦さんは小室さんのワガママに我慢できず決別。脱・小室のアイテムがhitomiさんと浜崎さんだった。
浜崎さんは松浦さんの愛人、hitomiさんは松浦さんの片腕である千葉龍平(エイベックス副社長)の愛人だった。

【華原朋美】
プライベートバーの参加者は「朋ちゃんが下着も何もつけない姿で『並木道』のフロアをウロウロしていたんです。信じられますか、裸ですよ!」と証言。さらに「それも完全にラリっていて、夢遊病のように歩いている。目がトロンとして、口元もダランとゆるんで…」と当時の華原の異常な様子を証言した。
「一番酷かった時期、華原はタワーマンションの最上階の部屋にかくまわれ、複数の関係者が世話をしていたのですが、やはり同じように目がトロンとしていつもケラケラ笑っていて異常でした。すぐに裸になってしまうクセがあり、本人の意思がほとんどない状態なので誰とでも寝てしまう。最初は興味本位もあってオトコたちが群がっていましたが、あまりに不気味だったため、みんな一回ヤッたら距離を置いてましたね。最終的には、誰からも見捨てられた彼女は入院することになりました」(芸能関係者)

島田紳助

2011年8月23日、最後のテレビ出演となった『開運!なんでも鑑定団』の放送終了直後、暴力団関係者との「黒い交際」を理由に引退を宣言し、この日を以って芸能界を引退した。
なお暴力団関係者は、1人は渡辺二郎、もう1人は、山口組ナンバー4・筆頭若頭補佐で、山口組系極心連合会会長の橋本弘文であると報道された。

【暴力団との交際のきっかけ】
関西テレビ『紳助の人間マンダラ』担当中の1998年、番組内で行った発言が右翼団体の癪に障り、関西テレビ本社に頻繁に街宣がかけられ、引退を考えるまでに精神的に追い詰められていた。
しかし、渡辺が橋本にそれを鎮めるよう依頼し、右翼団体の街宣は収まった。以来、それを鎮めた橋本との交流が始まった。25日には、橋本に送った手紙や同席写真が、暴力団関係者の警察の家宅捜索の際に見つかっていたことが報道されている。

【様々な疑惑の取引】
競売物件は、購入しても暴力団関係者が不法占拠していて売買が難しいケースも多い。だが、バックに山口組の最高幹部が控えているとなれば、立ち退き交渉でも強気に話を進めることができる。不動産投資という副業の背後に暴力団の影を推測しないわけにはいかない。
注目されているのは沖縄・石垣島などの不動産売買や『行列のできる法律相談所』のチャリティー企画としてカンボジアに設立した小学校にまつわる金の流れ。
さらに株取引でも爆弾がある。パチンコ攻略法などで有名な梁山泊グループがIT関連企業『ビーマップ』の株価を不正に釣り上げていたとして株証券取引法違反で摘発された際、紳助がビーマップ株を大量売却していた履歴が報じられています。梁山泊は山口組の企業舎弟と目されていますから。(東スポ)

日本音楽事業者

『芸能人はなぜ干されるのか?芸能界独占禁止法違反』(鹿砦社)を5月に上梓した星野陽平氏により、Business Journalへのインタビューで、芸能界の政治力学や芸能界タブーについて語られた。

【芸能界タブー】
私が調べた限り、メディアで最初に「芸能界タブー」が認識されるようになったのは、1971年の「相愛図事件」です。
当時の「週刊ポスト」が「凄い芸能界相愛図」と題して、イニシャル表記ながら有名芸能人同士の乱れた下半身事情を、作詞家・なかにし礼氏の告発というかたちで掲載しました。
ところが、雑誌発売直後になかにし氏は「取材に応じなければ、あなたの私生活を暴く」とポストの記者に脅されたとして刑事告訴し、記者2人が強要罪で逮捕されました。

ひとつ確かなのは、なかにし氏が記者たちを告訴せざるを得ない状況に追い込まれたということです。俎上に載せられたタレントが広範囲にわたり、かつ記事の内容があまりに強烈で、しかも告発者が芸能界内部の人物だったため、業界としてなかにし氏排除で足並みが揃ったわけです。有力芸能プロダクションのほとんどが加盟する日本音楽事業者協会(音事協)がなかにし氏に事情聴取し、さらになかにし氏が所属していた渡辺プロダクションもなかにし氏へ仕事の注文を中止しました。

音事協は「週刊ポスト」を発行する小学館に厳重抗議し、加盟する芸能プロに対して小学館が発行するすべての出版物の取材を拒否するよう呼びかけました。これをやられると、出版社は潰れてしまいます。結局、逮捕された記者は不起訴処分に終わりましたが、そうした事件が何度も起きるに従って、「芸能界を怒らせると怖い」という認識がマスメディア全体に広がりました。

【レコード大賞】
05年12月に、レコード大賞の審査委員長だった阿子島たけし氏の金銭スキャンダルを糾弾する怪文書がバラまかれ、その直後、阿子島氏の自宅で火災が発生し、3日後に焼け跡から阿子島さんの遺体が発見されました。
その年のレコ大は、EXILEに大賞を獲らせるかどうかで、大手芸能プロ同士が水面下で綱引きをしていたといいます。

【日本音楽事業者協会】
1963年に創立された芸能事務所が加盟する業界団体。略称は、音事協(おんじきょう)および、JAME。タレントの引き抜きによる事務所間のトラブルの防止や著作権・肖像権などの権利確立、タレントの雇用環境の改善等を目的に設立された。
イエローキャブ、エイベックス、太田プロ、北島音楽事務所、研音、サンミュージック、ソニー、第一プロ、長良プロ、バーニング、ホリプロ、マセキ芸能、マナセプロ、吉本興業、渡辺プロ(50音順)など数多くの有名プロダクションが加盟していることから、芸能プロダクションが加盟する業界団体の中では最大規模と言われている。

パールダッシュ社長

経歴に関しては不明な点が多い。
創価大学卒業しTBS入社する。TBS退社後はバーニング系列の芸能事務所、ケイダッシュ幹部にまで上り詰める。元カリスマキャバ嬢で作家の立花胡桃と結婚。現在は一児のパパ。

ジャニーズ事務所

【生年月日】1931年10月23日
【職業】ジャニーズ事務所社長

【同性愛疑惑】
1999年、『週刊文春』がジャニーズ事務所に関する特集記事を掲載し、ジャニーが所属タレントに対して同性愛行為を行い、事務所では未成年所属タレントの喫煙などがあると報道した。これに対しジャニー側は記事が名誉毀損であるとして、文春に対し1億円あまりの損害賠償を求める民事訴訟を起こした。
2002年3月27日の一審判決では、ジャニー側が勝訴し、東京地裁は文春側に880万円の損害賠償を命じた(井上哲男裁判長)。文春側はこれを不服として東京高裁に控訴した。
2003年7月15日の二審判決では、ジャニー側の同性愛行為を認定した(矢崎秀一裁判長)。このため同性愛部分の勝訴は取り消され、損害賠償額は120万円に減額された。ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され(藤田宙靖裁判長)、120万円の損害賠償と同性愛行為の認定が確定した。

【暴露本】
『ジャニーズの逆襲』中谷良(データハウス刊)
ジャニーが監督をしていた少年野球チームの子供たちで、当時は小学生。その頃から、彼らの性器をもてあそぶなど性的虐待を繰り返し、彼らをてなづけていた。

『光GENJIへ』北公次(データハウス)
ジャニー氏にスカウトされ、ジャニーズの付き人になった北は、すぐに彼らとの共同生活をはじめるのだが、それは同時に、ジャニー氏とのホモ行為に悩まされる日々のはじまりでもあったという。出会いから、実に4年半もの間、その行為は毎晩のように続いたと、同著にはある。関係は〈恋人同士というより夫婦のような日常生活になっていた〉そうで、北は “北公次”という芸名を “ジャニー喜多川”の “キタ”をとってつけられたことに、ジャニー氏の愛を感じ、とても満足だったとも綴られている。(サイゾーウーマン)

SMAP草彅

出典ameblo.jp

【草彅剛】
2009年4月24日の午前3時ごろ、檜町公園内で酔っぱらった草彅剛がワーワーと叫ぶ声が聞こえた。通報を受けて赤坂署員が駆けつけ、公然猥褻罪で現行犯逮捕された。
草彅容疑者は芝生の上であぐらをかいており、近くに脱いで置かれていた衣服は、容疑者のトレードマークといえるジーパン、ジージャンだった。逮捕後に家宅捜索に及んだことで、薬物の使用が疑われたが、薬物の所持や使用に関する報道はなかった。

【赤西軍団】

【赤西軍団】
山下智久が器物損壊の疑いで警視庁麻布署に書類送検されたというニュースが報道された。通常ならば「書類送検」という言葉を使うはずなのに、サンケイスポーツやスポーツニッポンなどのスポーツ紙と、フジテレビのニュース番組では「捜査書類を送付しました」という聞き慣れない表現を用いて事件を伝えたのだ。さらにフジは錦戸や赤西のことを「歌手仲間2人」と、これまた妙な表現を繰り出していた。だが、こうした大手マスコミによる“ジャニーズへの配慮”は、いまに始まった話ではない。

【稲垣吾郎】
2001年に公務執行妨害と道路交通法違反で警視庁渋谷警察署に現行犯逮捕された際に、「稲垣メンバー」なる表現が生み出された。このときも、通常ならば「稲垣容疑者」と伝えるところをテレビ局はジャニーズ事務所に気を遣い、なんとか事件性を感じさせない言い回しとして「メンバー」という突飛な肩書きを用意した。

【内博貴】
05年には、関ジャニ8とNEWSのメンバーだった内博貴が、未成年ながら酒に酔い、仙台市内の公園で暴れているところを警察に補導されるという事件が発生した。内には無期謹慎という処分が下されたが、飲酒したときにはフジテレビの菊間千乃アナウンサーやフジ社員が同席していたこともあり、マスコミは一斉に菊間アナのバッシングを開始。内は菊間と合流する前からすでに酩酊状態だったという情報もあったが、“菊間が未成年の内を酒に誘い、泥酔させた”という論調に終始し、事件の収束を図ったのだ。

【大野智】
08年に「週刊現代」が嵐・大野智の“大麻3P疑惑”をスクープした。
だが、この一大スキャンダルを後追いするスポーツ紙・テレビ局は皆無。11年には、大野の“大麻疑惑”の告白者である女性が自殺し、「週刊文春」が彼女から流出したというジャニーズタレントたちとの親密な関係をうかがわせる写真を掲載。大野をはじめ、相葉雅紀に二宮和也、松本潤とも関係があったと彼女が告白していたことを記事にしたが、これもまた大手芸能マスコミはスルーしている。

【乱交パーティ】
99年には「噂の真相」が、芸能ブローカーが主催していた“乱交パーティ”の存在をスクープし、TOKIO・長瀬智也や松岡昌宏、山口達也、KinKi-Kids・堂本光一らが参加していたことを伝えた。その衝撃は大きく、この報道を受けてスポーツ紙や週刊誌は後追い記事を掲載したのだが、なぜか実名で報じられたのは弱小プロダクション所属のいしだ壱成のみだった。
http://lite-ra.com/2014/10/post-568.html

嵐 大野

かつて「週刊現代」で過去の大麻吸引を報じられた。記事によると、05年の夏ごろ、複数の男女とカラオケボックスで盛り上がっていた大野は、同席していた誰かが差し出した大麻を知ってか知らずか吸引したという。

【生年月日】1958年11月27日
日本のミュージシャン、作詞家、作曲家、音楽プロデューサー。
96年ごろが小室哲哉の絶頂期で、高額税者番付全国4位で推定所得20億円。続く97年も高額税者番付全国4位で推定所得25億円あった。

【5億円詐欺事件】
2008年11月、音楽プロデューサーの小室哲哉氏が、5億円の音楽著作権譲渡に関連した詐欺容疑で逮捕されました。

2006年8月6日、小室は日本音楽著作権協会に自分名義で登録している全楽曲806曲の著作権を10億円で譲渡する仮契約を男性と結び、前妻のASAMIが著作権使用料を差し押さえているとして、その解除費用として5億円の先払いを要求し、8月29日までに5億円を受け取った。
しかし、実際には仮契約段階で既に著作権の一部は、音楽出版社に譲渡されており、小室には著作権がなかった。
だが小室は返金に応じなかったため、男性は2008年2月に小室に対し逸失利益を含めた6億円の損害賠償を求め提訴。小室が全額を支払うことで和解が成立したが、期日であった9月末までに小室は支払わなかった。
このため男性は地方検察庁に刑事告訴を行った。検察側は小室が受け取った5億円を差し押さえ解除ではなく借金返済に使っていたことを把握、当初から金を詐取する目的だったと判断し、2008年11月4日に大阪地検特捜部は小室とトライバルキックスの社長、広告会社の実質経営者の計3名を5億円の詐欺容疑で逮捕した。

細木数子

【生年月日】1938年4月4日
【職業】占い師

週刊現代誌上でノンフィクションライター溝口敦の手による「魔女の履歴書」と題した細木の半生を追ったルポ連載内で、売春斡旋や暴力団との深い関係、 神煕玲からの占いパクリ疑惑が指摘された。
それに対して細木は2006年6月に連載差し止めと名誉毀損で6億円の損害賠償を求める訴訟を起こしたが、同年7月に訴訟を取り下げた。

【盗作疑惑】
六星占術は、 神煕玲の六大天冲殺からの盗作であると溝口敦著『魔女の履歴書』にて明かされている。
神熙玲が弟子入りした細木に関して語っている。
「細木が短期間私のところに弟子入りしたことはたしかですけど、初歩でやめてるから、私は弟子と認めてません。彼女が本格的に占いを勉強したことはなく、私からの聞きかじりか、私が課した資料の誤った引用です」

【当らない占い】
2006年10月に放送されたTBS系「ズバリ言うわよ!炎の4時間メッタ斬りスペシャル」で、音楽プロデューサーの小室哲哉に向かって細木は、「何をやってもうまくいく。これからの20年、運気はいい」と鑑定していた。
しかし、すでに小室容疑者はそれまでの自転車操業が回らなくなり、生活費にも困っていたことで、音楽著作権を利用した詐欺を計画していたころ。その後、2008年11月に小室は詐欺容疑で逮捕されている。

2006年1月1日にテレビ朝日「細木数子が緊急大予言・アナタの将来を幸せにするSP」で堀江貴文ライブドア社長(当時)と共演した際、ライブドアの株価について「これから5倍に上がる」と予言し、「あんたの背中には龍が憑いている」と堀江のパイオニア精神を賞賛した。
しかし、放送から1ヶ月足らず後に堀江は逮捕され、ライブドアの株価は10分の1になった末に上場廃止となった。

【地獄を見た島倉千代子】
当時、島倉さんは元阪神タイガースの藤本勝巳内野手と結婚していたために、M医師とは不倫関係に陥った。その後、離婚が成立。島倉さんは、晴れてM医師との関係を深めた。
だが、金のなる木をつかんだM医師は眼科以外の事業に手を出して、失敗。振り出した手形が不渡りになって、2億4,000万円という莫大な負債を抱え、蒸発した。すると、手形の裏書をした島倉さんの元には、連日のように暴力団関係の債権者が押しかけ、激しい取り立てをしたという。ショーが終わって新宿コマ劇場の楽屋を出て車に乗ると、暴力団関係者が車のボンネットの上に乗って嫌がらせをするなど、地獄の日々を送った。
島倉さんの前に現れたのが、占い師になる前の細木数子女史だった。2人は「ミュージック・オフィス」という事務所を設立。一緒になって、借金を返済してくれるという細木女史は、島倉さんにとって救世主だった。細木女史と組んだのち、大スターだったため、電車の切符の買い方も知らなかった島倉さんは、借金返済のために電車にも乗って働き続けたという。しかし、働けど働けど、借金は減らず。逆に2億4,000万円が12億円の負債に膨らんだという。
いくら世間知らずの島倉さんでも、おかしいと思ったようだ。一説には、細木女史は愛人だった暴力団組長とグルになって、島倉さんを騙していたともいわれた。騙されたことに気がついた島倉さんは当時のコロムビアレコードの会長に泣きついて、借金を肩代わりしてもらい、細木女史と袂を分かったというのだ。
筆者は、この一件について島倉さんに直接取材したが、島倉さんは「細木さんは、一度はお世話になった方。死んでも真相は話しません」と固く口を閉ざした。(日刊サイゾー)

【墓石商法】
1993年に「不当に高額な墓を買わされた」として、総額1100万円の損害賠償を請求され佐賀地裁で訴えられている。
講演が終わると有料の「勉強会」への参加を促され、Aさんは、再び個人鑑定を受けることになった。悩みを相談すると細木は「ほら、みてごらん。あんたのようなバカは見たことがない。私の言ったとおりにすればご主人は死ななかった」と言い放ち、持参させられた墓の写真を見せると「こんなの墓じゃない。このままでは不幸がどんどん起こる」と脅されたという。
そこには石材店の社長や社員が同席しており、その場ですぐに契約の話になった。このとき「夫が亡くなり経済的にも苦しい」と窮状を訴えたが「借金してでも買わないと大変だ」と言われた。その後再三Aさん宅を訪れた久保田家石材商店の社員と細木の秘書に説得され「細木先生の言うことに間違いはない。借金をして墓を建てても必ずうまくゆく」結局、自宅の土地を担保に銀行から借金することになった。
細木が示した図面にもとづき、久保田家石材商店と交渉の結果、墓石代(据付工事含)約900万円、墓園の永代使用料が約100万円、そして旧墓の解体料なども含めると、総額で1000万円以上の額になった。
Aさんが依頼した弁護士が、800万円余で購入した墓石を別の2業者に見積もらせたところ、2業者とも約200万円との見積もり結果を出した。
http://www.oct-net.ne.jp/~Postpet/talk/hosokikazuko.html

江原啓之

【生年月日】1964年12月22日
【職業】スピリチュアルアーティスト

90年代、スピリチュアリズムの本場とされるイギリスに渡る。ロンドンのミーディアム(霊能者)を育成する団体である「英国スピリチュアリスト協会」を訪ね、霊媒の理論と実践を学ぶ。
2005年4月からは美輪明宏と共にテレビ番組『オーラの泉』に出演し、話題を呼ぶ。

【インチキ霊視】
問題になったのは2006年12月20日放送のテレビ朝日「オーラの泉」で、女優の壇れいが出演したときのもの。
江原が壇の「死んだ父親」を”霊視”し、壇の宝塚音楽学校への進学についての話題になった際に江原が壇に亡くなった父の声を伝えるという場面があったのだ。
「死んだお父さんは『宝塚受験』を寡黙に見守っていた」と語り、視聴者の涙を誘った江原。ところが檀の同級生から、実際にはその父親は生きていると地元の人が言っているというのだ。

どういうことかというと、壇は宝塚に入った平成2年まで実父と暮らしていた。しかし壇が宝塚デビューを果たした後の平成8年にはその実父と母が離婚し、母は京都府出身の男性と再婚。そしてその継父が交通事故で亡くなっているのだ。

番組で江原が伝えた”父の言葉”というのは「父は、壇が小さい頃から”女の子”だとは思ってなかった」という旨のもので、あきらかに実父と壇が一緒に暮らしていたころのものであろうと思われる。要するに、江原には「父親は亡くなっている」というう情報はあったのだが「実はそれは再婚した継父で、小さい頃一緒に住んでいた実父は生きていた」という事実は知らなかったということだろうか。なんとも間の抜けたインチキ霊視である。(探偵ファイル)

結論


謎に包まれたまま