【※必見】「祖母を置いて逃げた自分を呪う」震災時に自分だけ助かったことへの自責の念に対して心療内科医がかけた言葉とは・・。
東日本大震災
2011年3月11日の14時46分に起きた東北地方の太平洋沖地震と津波。
それによって多くの人が犠牲になりましたよね。
本当に痛ましい震災でした。
未だに苦しんでいる人々
「あの時こうしてればよかった」「ああしていれば・・」と言った後悔の念に駆られ、心に傷を負っている人たちは、まだまだたくさんいます。
そんななか、「祖母を置いて自分だけ助かった」と自分を責める女子大生に対してかけた心療内科医の言葉が話題になっています。
一体、どんな内容だったのでしょうか・・?
あの事ばかり思い出す
これは2011年5月23日の読売新聞の朝刊に載っていた記事です。
あの日、私は祖母と一緒に逃げました。
でも祖母は坂道の途中で、「これ以上走れない」と言って座り込みました。
私は祖母を背負おうとしましたが、
祖母は頑として私の背中に乗ろうとせず、怒りながら私に「行け、行け」と言いました。
祖母に謝りながら・・
私は祖母に謝りながら一人で逃げました。
祖母は3日後、別れた場所からずっと離れたところで、遺体で発見されました。
気品があって優しい祖母は私の憧れでした。
でもその最期は、体育館で魚市場の魚のように転がされ、
人間としての尊厳などどこにもない姿だったのです。
ものすごく辛い選択だったでしょうね・・・。
そして。
自責の念
助けられたはずの祖母を見殺しにし、自分だけ逃げてしまった。
そんな自分を一生呪って生きていくしかないのでしょうか。
どうすれば償えますか。
毎日とても苦しくて涙が出ます。
助けてください。
何か苦渋の決断をした時、もっとベストな方法はなかったのか・・
特に生死を分ける判断であれば、なおさらですよね・・。
この投稿に対して心療内科医の海原純子さんは。。。
そうは思えない!
心療内科医である海原純子さんは、
お手紙を読みながら涙が止まらなくなりました。
こんなに重い苦しみの中でどんなにつらい毎日かと思うとたまりません。
ただあなたは祖母を見殺しにしたと思ってらっしゃいますが、私にはそうとは思えません。
「見殺しにした」とは思えないと述べる海原さん。
その真意は・・。
祖母の意志
おばあさまはご自分の意志であなたを一人で行かせたのです。
一緒に逃げたら2人とも助からないかもしれない、
でもあなた一人なら絶対に助かる。
そう判断したからこそ、あなたの背中に乗ることを頑として拒否したのでしょう。
自分が一緒にいると、最愛の孫まで助からない。
そう判断の元だったのでしょうね。
どうしてこんな辛い決断をしないといけないんでしょうね。
涙が止まりません。
意志の反映
おばあさまは瞬時の判断力をお持ちでした。
その判断力は正しくあなたは生き抜いた。
おばあさまの意志の反映です。
「自分だけ生き延びてしまった」のではなく、おばあさんの意志によって「生かされた」のですね。
そして・・。
尊厳は失われない
人はどんな姿になろうとも外見で尊厳が損なわれることは決してありません。
たとえ体育館で転がされているように横たわっていても、
おばあさまは凛とした誇りを持って生を全うされたと思います。
亡くなった時の姿がどうであれ、尊厳は失われない。
心に響く言葉ですよね。
受け継がれている
おばあさまの素晴らしさはあなたの中に受け継がれていることを忘れないで下さい。
おばあさまが生きていたらかけたい言葉、してあげたいことを、
周りに居る人たちにかけたり、してあげたりして下さい。
そのようにして生き抜くことが憧れだったおばあさまの心を生かす道に思えます。
生きる勇気を与えてくれる言葉ですよね。
故人にしたかったけど、できなかったことを周囲の人へ。
私も心がけていきたいと思いました。
この出来事に対してネットでの反応は。。。
ネットでの反応
ネットでは、
・悲しみがいつか彼女の力に変わりますように。
・震災の哀しみは、はかり知れません。でも、お祖母様は女子大生に生きて欲しかったのですものね。先生のお言葉とお祖母様の希望を勇気に変えて前に進めるようお祈りします。
・沢山の人の思いが、その女の子に届きますように。
・朝からデニーズで泣いてしまった・・・。
といった声が寄せられています。
乗り越える力
人生、本当に予期していない色々なことが起きますよね。
苦しみ、悲しみなど感情に押し潰されそうな時もあると思います。
ただそんなときほど、自分を想ってくれる誰かの存在を思い出して欲しい・・ですよね。
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