エクアドル: 赤道直下の涼しい国とその魅力を解き明かす
こんにちは、ライターのYUKOです。エクアドルの赤道直下の涼しさについて、その魅力を紐解いていきます。
エクアドル基礎データ
2021年にエクアドルの大統領に就任した人物は誰?
ギジェルモ・アルベルト・サンティアゴ・ラッソ・メンドサ
エクアドル共和国は南アメリカ北西部の国で、面積は25.6万平方キロメートル、人口は約1,776万人です。
首都はキトで、民族構成は欧州系・先住民混血が72%、先住民が7%、アフリカ系・アフリカ系との混血が7%、欧州系が6%となっています。
公用語はスペイン語で、国民の大多数はカトリック教徒です。
1822年にスペインから独立し、1830年にグラン・コロンビアから分離独立しました。
2021年5月にラッソ大統領が就任し、任期は2025年5月までです。
エクアドルでは、コレア大統領が2007年から2013年まで大統領を務め、強権的な政治運営を行いました。
詳しくみる ⇒参照元: エクアドル基礎データ|外務省エクアドルの独立とコロンビアからの分離
コロンビアの一部として組み込まれた現在のエクアドルに相当する地域を何と言うか?
南部地区
1822年、ピチンチャの戦いでスペイン軍を破り、現在のエクアドルの解放が確定しました。
その後、この地域はコロンビア共和国の一部として「南部地区」に組み込まれました。
1830年にコロンビアから独立を宣言するまで、この地域は「南部地区」と呼ばれていました。
初代大統領になる予定だったスクレ元帥は暗殺され、初代大統領にはフアン・ホセ・フローレスが就任しました。
詳しくみる ⇒参照元: エクアドルエクアドル国名の由来
エクアドルという国名の由来は?
赤道
エクアドルは、コロンビア共和国から分離独立する際に、首都キトから名前をとることを避け、キト直下を通る赤道から「エクアドル(赤道)」という名称が採用された。
この国名は、コロンビアの他の都市からの反発を防ぐため、諸地域の妥協の結果生まれたものだった。
詳しくみる ⇒参照元: エクアドルエクアドルの政治情勢
エクアドルがOPECから脱退したのはいつ?
1993年
エクアドルは、自らの政治的立場が危うくなる寡頭支配層と結んだ軍保守派によるクーデターによって、1976年に革新的軍事政権が失脚した。
その後、1978年に新憲法草案が国民投票によって承認され、1979年にはキリスト教民主主義の人民勢力結集党からハイメ・ロルドス・アギレーラが当選して軍事政権から民政移管した。
しかし、1984年の大統領選挙で当選したレオン・フェブレス・コルデーロが親米政権を推進した結果、1987年の大地震によって多数の犠牲者を出したばかりか石油パイプラインも破壊されて経済的に苦境に陥った。
1992年にシスト・デュラン・バジェンが大統領に就任し、1995年にアマゾンの係争地をめぐってペルーとセネパ紛争を行ったが敗北。
1993年には石油輸出国機構(OPEC)から脱退した。
1996年にはレバノン系のアブダラ・ブカラムが大統領に就任したが奇行を繰り返したために失脚し、1998年に同じくレバノン系のハミル・マワが大統領に就任した。
詳しくみる ⇒参照元: エクアドルエクアドルの必見スポット
エクアドルで野生のゾウガメに出会える場所は?
エルチャト
エクアドルには、赤道記念碑公園、ラ・コンパーニア聖堂、エルチャト、サンタ・アナの丘など、多くの観光スポットがあります。
赤道記念碑公園では赤道通過地点を体験でき、ラ・コンパーニア聖堂は美しい黄金の装飾が特徴です。
ガラパゴス諸島のエルチャトでは野生のゾウガメに出会え、サンタ・アナの丘からはグアヤキル市内を一望できます。
詳しくみる ⇒参照元: エクアドルはどんな国? 赤道直下なのに涼しいのはなぜ? ガラ...エクアドルの麻薬組織が脅威拡大
エクアドルで麻薬組織が要求しているもの?
みかじめ料
麻薬組織の勢力拡大に伴い、エクアドルでは商業施設や公的機関、さらには病院や学校までもが「みかじめ料」の要求にさらされています。
従わない者は車に爆発物を仕掛けられるなどの凶悪行為も受けており、市民は安全な地域がなくなってしまったと訴えています。
刑務所内でも縄張り争いから抗争が激化し、死亡者数はここ2年で400人を超えています。
エクアドルの殺人率は、2020年の3倍以上となり、メキシコやブラジルを上回り、中南米最悪のレベルに近づいています。
犯罪組織は警察や軍、諜報機関にも深く入り込んでおり、これらの組織を利用していることが懸念されています。
詳しくみる ⇒参照元: 南米エクアドルで大統領選有力候補まで暗殺?いったい何が?麻薬組織の台頭が招くエクアドルの治安悪化
エクアドルの治安悪化の一因となった地理的要因は何か?
コロンビアとペルーというコカイン産地の中間に位置
エクアドルの治安悪化は、メキシコやコロンビアの麻薬組織が地元組織と連携し、軍や警察を買収して勢力を拡大したことによって引き起こされた。
この麻薬組織がエクアドルを拠点にする理由の一つは、コロンビアとペルーから北米やヨーロッパにコカインを輸出するのに地理的に有利であることだ。
さらに、エクアドルはこれまで治安が比較的良く、国境警備が十分でなかったため、犯罪組織につけ入る隙を与えた。
また、2016年のコロンビア政府とゲリラ組織FARCの和平合意によってエクアドルに流れ込んだ反発ゲリラ戦闘員も治安悪化の一因となっている。
詳しくみる ⇒参照元: 南米エクアドルで大統領選有力候補まで暗殺?いったい何が?エクアドル経済の特徴と動向
2000年以降のエクアドル経済の特徴とは?
米ドルの法定通貨化と一次産品依存
エクアドル経済は2000年に自国通貨を廃止し、米ドルを法定通貨として採用しました。
輸出の約5割を原油が占め、バナナ、カカオ、コーヒー、エビなどの一次産品が輸出の残りのほとんどを占めています。
コレア大統領時代には社会政策の拡充や輸入規制などが進められましたが、公的債務が増加しました。
モレノ大統領時代には経済改革が注力され、経済構造の再構築や外国投資の誘致が進められています。
エクアドルはEUと自由貿易協定を締結し、経済の開放化を図っています。
詳しくみる ⇒参照元: エクアドル基礎データ|外務省エクアドルの政治的変遷
モレノ大統領が整備した主なインフラは何か?
学校、軍隊、鉄道
エクアドルの政治的発展は、カトリック教会の保守的な影響から始まり、カカオプランテーションの拡大による自由主義への移行へと進みました。
保守派と自由派の闘争の後、自由主義者であるアルファロ大統領の時代には国家の世俗化が進みました。
1925年のクーデターで権力の重心がグアヤキルからキトに移り、政治の混乱が続きました。
1929年の世界恐慌は経済に打撃を与え、ポプリズム的なベラスコ・イバラ大統領の登場を招きました。
1941年のエクアドル・ペルー戦争では、エクアドルはアマゾンの領土を失い、両国関係に影響を与えました。
詳しくみる ⇒参照元: エクアドル