江戸時代の風呂事情を写真で探る:歴史と文化の変遷
こんにちは、ライターのYUKOです。今回は、江戸時代の風呂事情について、歴史的な写真を使って探ります。
江戸時代の銭湯
江戸時代における銭湯の呼び方の違いとは?
江戸は「銭湯」、京坂は「風呂屋」
江戸時代の銭湯は、人口増加に伴い庶民が頻繁に利用していた。
そのため、天保から幕末にかけて約600軒を数えた。
銭湯の初見は天正19(1591)年で、伊勢出身の商人が銭瓶橋に開店したのが最初だった。
当初は高温だったが、適温に調整されると庶民に浸透した。
江戸では「銭湯」、京坂では「風呂屋」と呼ばれていたが、いずれも銭湯を指していた。
詳しくみる ⇒参照元: 寛政の改革で混浴禁止に? お江戸銭湯よもやま話 : 『 守貞...城郭の湯殿と将軍の入浴事情
江戸城や二条城の将軍は入浴できなかったのか?
不可能だった
江戸城や二条城には現在、入浴設備が残されていません。
他の城では、現存御殿に「湯殿」があったり、蒸し風呂が復元されたりしていますが、将軍が利用していたかは不明です。
福井県の藩主別邸跡には、発掘遺構上に復原された蒸し風呂の「御湯殿」があります。
将軍が城内で入浴していたという明確な記録はなく、不可能だったと考えられます。
また、高欄付きの物見の間からは城下を眺めながらくつろぐことができたようです。
詳しくみる ⇒参照元: お殿さまはどんなお風呂に入っていたの?-超入門!お城セミナー...銭湯の近代化
銭湯の構造において明治時代以降に大きな変化があった部分は?
柘榴口の撤廃
江戸時代の銭湯には、浴槽に入る前にくぐる「柘榴口」があったが、明治時代になると衛生的、公序良俗上の問題からこれが撤廃された。
さらに、洗い場の浴槽が板間に沈められ、洗い場が広くなり、換気のための窓が設置された。
これにより、銭湯は開放的で明るい空間となった。
こうした改良を施した銭湯は「改良風呂」と呼ばれた。
詳しくみる ⇒参照元: 【男女混浴】江戸時代のお風呂事情を画像つきでまとめてみた【頻...