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井深大: 神戸高校時代からソニー創業者への道のり

ライターのAnnaです。井深大さんの神戸高校時代からソニー創業者になるまでの道のりについて書きます。

井深大氏のルーツと少年時代

井深大氏の父親代わりとなったのは誰?

祖父の基

井深大氏の父親は幼くして亡くなったため、祖父の基が父親代わりとなった。

基は会津藩の朱雀隊の一員として戊辰戦争を生き残った人物で、白虎隊で自決した弟の石山(井深)茂太郎がいた。

井深氏は小学5年生の時に母親が再婚し神戸へ移り住み、神戸一中に入学した。

同級生には俳優の山村聰がいた。

詳しくみる ⇒参照元: 連載 神戸秘話 ⑭ 科学技術で戦後の日本を再生した男 井深 ...

井深大とアマチュア無線

井深大の無線に興味を持つきっかけとなった出来事は?

日本海海戦

井深大は、日本海海戦で日本海軍が無線通信を活用してロシア海軍に勝利したことがきっかけでアマチュア無線に興味を持った。

貿易で栄えていた神戸には無線機器用部品を扱う店が多く、井深大は無線機改造に熱中した。

しかし、勉強をおろそかにしたため留年し、受験勉強に集中するため一旦アマチュア無線から離れた。

その後、早稲田第一高等学院に入学して島さんと出会い、再び無線に携わるようになった。

詳しくみる ⇒参照元: No.12 小さな町工場を世界のSONYに育て上げた井深大さ...

ソニー創業のきっかけ

ソニーの設立にはどのようなきっかけがあったか?

盛田昭夫との出会い

戦時中に軍需電子機器開発を行っていた日本測定器が戦後に東京通信研究所を設立。

その記事が盛田昭夫の目に留まり、盛田が会社設立に参加し、翌年東京通信工業(後のソニー)を創業。

ソニーは独自技術の開発と新商品の提供を経営方針とし、トリニトロンテレビなどの革新的な商品を世に送り出し、日本の経済成長に貢献した。

詳しくみる ⇒参照元: 井深大

井深と盛田の出会い

井深さんと盛田さんが出会ったきっかけは?

戦時科学技術研究会

井深大氏は映写機製造会社から測定器専門会社を設立し、そこで軍のレーダー開発などに使用される測定器の研究に従事していました。

一方、盛田昭夫氏は海軍の技術将校として戦時科学技術研究会の委員を務めていました。

井深氏と盛田氏は、この研究会で出会ったのです。

戦時中の厳しい経験が、後に彼らが東京通信工業(現ソニー)を設立する際に活かされました。

井深氏は工場疎開中に米軍機から機銃掃射を受け、敗戦を悟ったといいます。

また、海外放送から得た情報で敗戦が近いことを知ったのです。

これらの戦時中の体験が、戦後の東京通信工業の設立に大きな影響を与えたのです。

詳しくみる ⇒参照元: No.12 小さな町工場を世界のSONYに育て上げた井深大さ...

技術のソニー誕生秘話

東京通信工業(現ソニー)の企業理念は何だった?

理想工場建設と技術分野の拡大

東京通信工業は終戦後に設立され、井深は企業理念として、技術者の技能を発揮できる工場の建設と、大企業が踏み込めない技術分野の開拓を掲げた。

この理念は、技術に特化したソニーの基礎を築いた。

記念すべき商品である国産初のテープレコーダーG-1の開発や、携帯型のデンスケの登場も、この理念に基づいて実現した。

詳しくみる ⇒参照元: 井深 大 「世界のソニー」を創業したモノづくりの天才

モノづくりの天才・井深大

ソニー創業者・井深大の出身地はどこですか?

栃木県・日光町

ソニーの共同創業者である井深大は、1908年に栃木県・日光町にある古河鉱業の日光銅精錬所の社宅で生まれました。

彼は、東京高等工業(現在の東京工業大学)を卒業した技術者であった父親を持ちましたが、井深が2歳のときに父親は病死しました。

その後、井深は盛田昭夫とともにソニーを設立し、トランジスタやウォークマンなど、世界に衝撃を与えた数々の製品を世に送り出しました。

詳しくみる ⇒参照元: 井深 大 「世界のソニー」を創業したモノづくりの天才

井深大の技術観

家庭用電子機器普及のきっかけとなった技術革新は何か?

トランジスタ

トランジスタの開発により、真空管がトランジスタに置き換えられ、エレクトロニクスが一般家庭に普及しました。

国産ビデオレコーダーの開発においても、井深は家庭向けの価格を抑えた商品化にこだわりました。

これは、技術を消費者にまで届けるという井深の考え方を表しています。

詳しくみる ⇒参照元: 【井深大】多くの人たちに利用されてこそ、技術である――ソニー...

ソニーの歴史:井深大と主力商品の開発

ソニーを創業した井深大氏が最初に成功させた主力商品は何か

テープレコーダー

井深大氏が最初に成功させた主力商品はテープレコーダーだった。

国産化されたワイヤーレコーダーから始まり、音質の良いテープレコーダーへと進化し、東京通信工業の最初の主力商品となった。

テープレコーダーの成功は、トランジスタ開発の資金や人材の確保にもつながった。

詳しくみる ⇒参照元: 井深大とは

国産テープレコーダー開発の道のり

当初、国産テープレコーダーの開発において最も困難だった課題は何か?

テープのベース素材の開発

日本のテープレコーダー開発初期には、参考資料がほとんどなく、テープのベース素材から手探りで開発する必要がありました。

セロファンではなく紙ベースを使用することを決め、製紙会社と共同で紙の製造から行いました。

また、鉄粉の選定にも苦労し、自作の黒色マグネタイトを使用することで音が出るようになりました。

その後も試行錯誤を重ね、1950年に国産初のテープレコーダー「G型」が販売されましたが、高価で重いため売れませんでした。

そこで、改良された普及型「H型」が開発され、マーケティングにも注力した結果、教育現場での需要を取り込み、販売が伸びました。

詳しくみる ⇒参照元: 井深大とは

トリニトロンの栄光と液晶への遅れ

当時の新素材の可能性について、井深が担当者に何を指摘したか

未来を考慮すべき

ソニーはトリニトロンブラウン管で成功を収めたが、液晶への切り替えが遅れた。

その背景には、トリニトロンへの傾注と巨額投資に加え、創業者・井深の「未来を考慮すべき」という考え方もあった。

井深は、新素材の可能性について担当者に「なぜ、数年後ではなく、未来を考えないのか」と指摘し、将来を見据えた技術開発の重要性を強調した。

詳しくみる ⇒参照元: 井深大

ソニー創業の歴史

ソニーの前身はいつ設立されましたか?

1946年

東京通信工業(東通工)は1946年に設立され、後のソニーの前身となりました。

当時、従業員はわずか20名で、資本金は19万円(現在の貨幣価値で約760万円)しかありませんでした。

また、機械設備もなかったため、真空管電圧計の注文があっても、真空管の調達に苦労していました。

しかし、井深大が発明した電器座布団が大ヒットし、資金繰りに成功しました。

その後、無線中継受信機などの官公庁や放送局からの仕事が増えていきました。

詳しくみる ⇒参照元: 井深大とは

井深大のテープレコーダー開発と普及戦略

日本とアメリカにおけるテープレコーダーの普及状況の違いはどのようなものでしたか?

日本は広く普及していたが、アメリカでは民間向けにほとんど普及していなかった。

東京通信工業の販売戦略により、テープレコーダーが日本で普及し始め、井深大のアメリカ視察では、日本とアメリカにおける普及状況の違いが明らかになった。

日本では民間向けに広く普及していたが、アメリカではほとんど普及していなかった。

東京通信工業はその後も改良を重ね、小型化や低価格化を進め、普及をさらに拡大していった。

井深大は常に「大衆と直結した商品」を目指し、テープレコーダーの開発に注力した。

詳しくみる ⇒参照元: 井深大とは