花束に恋したような映画『花束みたいな恋をした』で現代社会を解き明かす
こんにちは、ライターのYUKOです。本日は、映画『花束みたいな恋をした』を通して、現代社会のあり方を考察したいと思います。
花束みたいな恋をした
偶然な出会いから始まった男女の5年間を描くこの映画の脚本は誰?
坂元裕二
2021年公開の映画「花束みたいな恋をした」は、坂元裕二のオリジナル脚本によるもので、菅田将暉と有村架純が主演を務めた。
この映画は、偶然な出会いから始まった男女の5年間を描き、坂元裕二らしい繊細かつリアルな人間描写が話題となった。
監督は土井裕泰が務め、ドラマ「カルテット」でも坂元裕二とタッグを組んだ。
詳しくみる ⇒参照元: 映画『花束みたいな恋をした』の作品情報自意識の強さが際立つ「自分語り」映画
「自分語り」映画の特徴の一つとして挙げられる要素は?
自意識の強度
「自分語り」映画は、自意識を主題にしたコンテンツであり、その強度によって作品が支えられている。
例えば、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」や「愛がなんだ」では、自意識の強さが作品を特徴づけている。
これらの作品は、恋愛やアイデンティティを描き、各々の価値観によって評価が大きく異なる。
詳しくみる ⇒参照元: 映画『花束みたいな恋をした』の魅力を徹底考察!'花束'とは何...花束みたいな恋の行方:現代社会の若者を描く
麦と絹が同棲を始める前、共通の趣味の他にも何があった?
終電を逃したこと
映画「花束みたいな恋をした」は、菅田将暉と有村架純が共演した恋愛映画です。
終電を逃したことで出会った大学生カップルの、恋愛や同棲、就職活動などを通して描かれる現代社会の若者の姿が話題になりました。
物語の終盤では、二人は破局を迎えますが、そこには「花束」に込められた、日本社会の構図や若者の恋愛観が反映されています。
本記事では、映画の魅力や結末から読み解く現代社会の構造について考察しています。
詳しくみる ⇒参照元: 映画『花束みたいな恋をした』の魅力を徹底考察!'花束'とは何...花束みたいな恋の行方
付き合いたての二人が、海でデートをした際に、その光景にはどんな意味が込められていたのか?
始まりへの希望と終わりへの不安
麦と絹の付き合いたてのデートの場面では、幸せをただ楽しむ麦と、恋の終わりの予感を抱く絹の対照的な姿が描かれ、二人の将来を暗示しています。
これは、「卒業」のラストシーンにおける、笑顔のダスティン・ホフマンと、浮かない表情のアン・バンクロフトの姿にも通じ、希望と不安が同居する状況を表現しています。
また、物語のラストでは、新型コロナウイルスの影響を匂わせる描写が登場し、トイレットペーパーのセリフは、撮影後に坂元が書き足したもので、時世を的確に取り込んだ橋渡しとなっています。
詳しくみる ⇒参照元: 映画『花束みたいな恋をした』の作品情報失われたもの
就職することで、主人公の麦はどのようなものを失ったか
絹との時間
大学卒業後、フリーターとしてイラストを描くバイトとジェラート屋で働いていた麦と絹は、慎ましいながらも穏やかな幸せを感じていた。
しかし、麦の父から仕送りを止めると言われた麦は就職を決意し、絹も歯科医院の受付の仕事に就いた。
やがて、麦は営業の仕事に追われ、絹との時間が失われていった。
絹はイベント会社の社長にスカウトされ、自分の好きなことを仕事にしたいと転職したが、麦は批判し、最悪なプロポーズをしてしまう。
プロポーズはなかったことになり、二人はすれ違いの日々を送る。
大学時代からの友人の結婚式で、二人は別れを決意し、かつて告白したファミレスを訪れた。
詳しくみる ⇒参照元: 映画『花束みたいな恋をした』の作品情報