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雅山哲士の若い頃の姿が明らかに...貴重な写真と秘蔵エピソード

ライターのYUKOです。雅山哲士の若い頃の写真と秘蔵エピソードをご紹介します。

雅山の相撲との出会い

雅山は少年時代に相撲に興味を持ったきっかけは何ですか?

焼肉の約束

雅山哲士は茨城県水戸市で3人きょうだいの長男として生まれた。

少年時代には空手やソフトボール、バスケットボールに取り組んでいたが、小学校6年時に担任の先生から「大会で勝ったら、焼肉をいっぱい食べさせてあげるから」と言われ水戸市の少年相撲大会に出場したところ優勝した。

この優勝が相撲に興味を持つきっかけとなった。

その後、水戸市立見川中学校時代は柔道部に在籍していたが、柔道部の顧問に直談判して相撲を続けることができた。

入学間もない5月に出場した水戸市の相撲大会で3位に入り、この活躍が水戸尾曽相撲道場主宰の尾曽正人の目に留まり、週1回、道場の土俵がある茨城県立水戸農業高等学校に通い、尾曽の指導を受けることになった。

中学2年時には全国中学校相撲選手権大会(全中)個人戦に茨城県代表として出場したが、予選で1学年上の加藤精彦(高見盛精彦)に敗れた。

中学3年時の全中では決勝で同学年の岡部新(玉乃島新)に勝って優勝し、中学生横綱になった。

高校はそのまま水戸農高に進み、相撲の練習に没頭した。

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異例の多数決:雅山の大関昇進議論

大関昇進決定時に最も議論の対象となったのは何か?

勝ち星

雅山は初土俵から12場所で史上最速の大関に昇進した。

しかし、この昇進には異論が相次いだ。

昇進前には上位陣に勝てておらず、立ち合いの未熟さを指摘する声があった。

しかし、直近の大関昇進事例と比較すると勝ち星は遜色なく、貴ノ浪の大関転落による空席もあり、勝ち星重視の考え方が大関昇進の決め手となった。

理事会でも慎重論が出たが、賛成多数で昇進が決定した。

雅山の相撲は消極的で、組んでも大ざっぱで、立ち合いも駆け引きが目立った。

また、同部屋力士に恵まれながらも優勝争いに加われなかったことや、角界経験が浅いことも慎重論の理由として挙げられた。

詳しくみる ⇒参照元: 雅山哲士