仙台未成線: 運行再開の遅れに注意!
ライターの Maria です。
仙台鉄道の起源と動力の変遷
仙台鉄道の前身である仙台軌道は、当初どのような動力を計画していたのでしょうか?
人車
1912年、仙台を中心とする有志が、仙台から古川を結ぶ軽便鉄道の敷設計画を立案しました。
この計画は1914年に不許可となりましたが、1917年には仙台と古川を結ぶ人車軌道の特許申請が提出され、翌年許可を得ました。
これが仙台鉄道の前身となる仙台軌道です。
当初は人力での運行を計画していましたが、実際には困難と判断され、蒸気機関に変更されました。
さらに物価高騰の影響で工事は難航し、吉岡町などの補助金を得てようやく進展しました。
また、計画されていた古川までの路線は中新田に変更され、動力もガソリン機関車に変更されました。
詳しくみる ⇒参照元: 仙台鉄道東西交通軸構想の変遷
仙台市の東西交通軸構想を頓挫させた要因は何ですか?
東北大学による反対
1992年に仙山線の複線化が検討され、東西交通軸構想の焦点は仙山線に移った。
その後、東北大学が川内旗立線の学内通過を拒否したため、川内から八木山までの区間が頓挫した。
状況打破のため新ルートが検討されていたが、東西交通軸構想を牽引してきた石井が汚職事件で逮捕され、構想はさらに停滞した。
しかし、藤井新市長が構想を推進し、東北大学が新ルートでの学内通過を受け入れたことで、構想は再び進展した。
1995年から市はリニア地下鉄での検討も開始し、1996年には市長が東西線の事業化に向けた検討を表明した。
詳しくみる ⇒参照元: 仙台市営モノレール南西線仙台地下鉄東西線の歴史
仙石線直通で計画されていた旧地下鉄東西線はいつ開通した?
未開通
2005年に仙台市長選で建設推進が公約となり都市計画決定された地下鉄東西線は、2015年12月6日に開通した。
当初計画されていた旧地下鉄東西線は、仙石線直通で検討されていたが、未開通となっている。
また、川内旗立線の一部区間は、地下鉄東西線の竜の口橋りょうを鉄道道路併用橋として建設する予定となっている。
詳しくみる ⇒参照元: 仙台市営モノレール南西線