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オウム真理教サティアン跡地を巡る生活: 上九一色村の変遷

ライターのYUKOです。オウム真理教サティアン跡地周辺の生活や上九一色村の変遷についてお伝えします。

オウム真理教の宗教施設「サティアン」

オウム真理教の宗教施設である「サティアン」の名称は、どの言語の単語に由来している?

サンスクリット語

サティアンとは、オウム真理教の宗教施設の名称で、サンスクリット語で「真理」を意味します。

山梨県富士ケ嶺を中心に点在し、30棟以上の建物がありました。

特に有名なのは、麻原彰晃が逮捕された第6サティアンとサリンプラントのあった第7サティアンです。

サリン事件以降、第7サティアンを除くすべてのサティアンは閉鎖され、取り壊されました。

詳しくみる ⇒参照元: サティアン

富士ケ嶺公園のサティアン

オウム真理教のサティアンがあったのは、どんな場所か?

牧場ばかりののどかな公園

オウム真理教のサティアンがあった富士ケ嶺公園は、牧場ばかりの風光明媚な場所。

公園内には、遠くに見える山々と気持ちの良い風が吹き抜ける。

周辺は牧場ばかりで、のどかで事件の現場とは思えない雰囲気。

第2サティアンでは、元信者や信者が監禁され、殺害される事件が2件起きていた。

詳しくみる ⇒参照元: 富士ケ嶺公園でオウム真理教サティアン跡地&慰霊碑を見る

オウム真理教サティアンの秘密

この施設はなぜ跡地になっていないのか

証拠として残されたため

オウム真理教のサティアン第8はパソコン組み立て施設として認識されていましたが、実際には化学兵器を製造する恐ろしい施設でした。

また、第12サティアンは自動小銃を製造する工場で、第9、第11サティアンでも自動小銃が作られていました。

これら3つの工場は、オウム真理教が武器に重点を置いていたことを示しています。

サティアン第10は信者たちの生活の場でしたが、生活できる環境ではありません。

地下鉄サリン事件で用いられたサリンは、ジーヴァカ棟で作られていました。

これらのサティアンは、証拠として跡地化されずに残されています。

詳しくみる ⇒参照元: サティアンとは?10のオウム真理教施設の跡地~上九一色村のそ...

富士ケ嶺公園に眠るオウム真理教の暗い過去

オウム真理教がかつて山梨県に所有していた施設の名前は?

サティアン

かつて山梨県の富士山の麓に存在していた上九一色村には、オウム真理教の施設「サティアン」がありました。

ここは信者の宿泊施設として利用されていただけでなく、サリン製造工場や死亡事件・殺人事件の現場でもありました。

現在、サティアン跡地は富士ケ嶺公園となり、慰霊碑が建立されています。

詳しくみる ⇒参照元: 富士ケ嶺公園でオウム真理教サティアン跡地&慰霊碑を見る

サティアンの居住施設と子供達の生活

子供達が屋内に逃げ込むようになったきっかけは?

毒ガス攻撃の主張

オウム真理教施設「サティアン」では、子供達が飛行機の音を毒ガス攻撃と認識し、屋内に逃げ込むことがあった。

また、サティアンには子供用居住施設があったが、保護された後には、子供達は「毒ガス攻撃を受けている」と主張するため、屋内で遊ぶことが多くなった。

サティアンの居住施設は大人用と子供用に分けられ、一般信者は「蜂の巣ベッド」と呼ばれる密集した施設で生活していたが、教祖の麻原には別格の個室があった。

詳しくみる ⇒参照元: サティアン

オウムとの闘争の記録保存へ

地下鉄サリン事件の発生後、旧上九一色村の住民はどのような行動に出た?

歴史の保存

地下鉄サリン事件から25年が経った今、オウム真理教の拠点施設「サティアン」があった山梨県旧上九一色村では、住民が教団との闘争の歴史を保存する動きを始めている。

教団対策委員長を務めた江川透さんは、サリン事件を起こしたオウムが確かにこの地にいたという事実を残したいと語っている。

住民らは、教団の活動を監視して記録した「監視日誌」や資料を保存し、後世に継承する取り組みを進めている。

詳しくみる ⇒参照元: 地下鉄サリン25年 オウムとの闘い後世へ 旧上九一色村の住人...

オウム真理教: 事件と歴史

オウム真理教が引き起こした事件で逮捕された人数は?

403人

オウム真理教は1988年から1995年まで活動した日本の新興宗教団体で、松本サリン事件や地下鉄サリン事件などのテロを起こした。

教団が起こした一連の事件では403人が逮捕され、うち192人が起訴された。

ヨーガ教室として始まった団体が、どのようにしてテロ組織へと変貌していったのか、その歴史や重要人物、引き起こした事件を解説する。

詳しくみる ⇒参照元: オウム真理教とは?起こした事件や幹部、修行法を解説【現在の活...

オウム真理教サティアンと上九一色村のその後

オウム真理教の化学兵器テロを最初に受けたのはどこ?

上九一色村

オウム真理教のサティアンがあった富沢町は、テレビ局に施設を見せ、違法行為をしていないとアピールしていた。

しかし、村の名前は教団と結びつけられ、ネガティブなイメージがつきまとった。

村は明るくするためにガリバー王国を建設したが、すぐに閉園した。

現在、上九一色村という地名はなく、跡地には慰霊碑などが残る。

詳しくみる ⇒参照元: サティアンとは?10のオウム真理教施設の跡地~上九一色村のそ...

オウム真理教サティアン建築の特徴

オウム真理教サティアン建築の特徴は?

質素な無機質建築

オウム真理教のサティアン建築は、信者によって建設され、質素で無機質な外観が特徴。

装飾はなく、工場のような雰囲気を醸し出していた。

信者は、資金を建物に費やすよりも、実用性と収容能力を重視したと語っている。

富士ヶ嶺公園や盲導犬養成施設「富士ハーネス」は、かつてサティアンがあった跡地に整備されている。

また、サティアン建築の一部には、信者リンチ殺人の犠牲者を悼む慰霊碑が建てられている。

詳しくみる ⇒参照元: サティアン

オウム真理教の名称の起源

オウム真理教の名称の由来となったサンスクリット語は何ですか?

オウム

オウム真理教の名称はサンスクリット語の「オウム」に由来します。

この言葉は「A・U・M」と表記され、それぞれ「創造」、「維持」、「破壊」を意味します。

3文字を合わせると「すべては無常である」、つまり「変化するものである」という意味になります。

詳しくみる ⇒参照元: オウム真理教とは?起こした事件や幹部、修行法を解説【現在の活...

オウム真理教における松本智津夫の権力構造

オウム真理教における松本智津夫の立場はどのようなものか?

教祖

オウム真理教は、1989年に設立された宗教法人です。

教祖である松本智津夫は、代表役員として組織を全面的に掌握・支配しています。

松本智津夫は、信者から「尊師」と呼ばれ、絶対的帰依を求めています。

信徒になるにも、大師になるにも、松本智津夫の承認が必要とされています。

詳しくみる ⇒参照元: 宗教法人オウム真理教解散命令事件 第一審