Academic Box Logo Menu opener

90年代ファッションのリバイバル!渋谷系チーマーから学ぶ当時のスタイル&現代版コーデ

ライターのYUKOです。今回は、90年代ファッションのリバイバルについてお話します。

暴走族とチーマーのファッション

暴走行為をしていた暴走族のファッションはどう呼ばれていたか?

アメカジ

1990年代、暴走行為を行っていた暴走族は「アメカジファッション」を着用していた。

チーマーの文化は映画「ウォリアーズ」や「アウトサイダー」の影響を受け、アメリカのストリートギャングを模倣していたわけではない。

2000年代以降、ヒップホップの流行に伴い、チーマーがカラーギャングに代わり、2000年代後半にはカラーギャングも激減した。

しかし、チーマーは完全に消滅したわけではなく、2009年には東京都大田区で約100人のチーマーが確認されている。

詳しくみる ⇒参照元: チーマー

チーマーの流行とトラブル

1990年代以降、チーマーとして活動した若者たちの特徴は?

郊外在住

1990年代に入ると、暴走族やヤンキーの影響を受けた郊外在住の若者たちがチーマーとして活動するようになりました。

彼らは渋谷センター街などにたまり、抗争や喧嘩、押し売りなどのトラブルを起こしていました。

このため、1992~1993年頃の渋谷では深夜にセンター街が大量のチーマーで占拠される事態に陥り、店舗の軒並み閉店につながりました。

詳しくみる ⇒参照元: チーマー

チーマーとヤンキーの違い

チーマーのファッションセンスはヤンキーとどう違う?

ファッショナブル

チーマーは1980年代から1990年代に流行した不良グループで、ヤンキーとはファッションセンスや不良としてのスタイルが異なる。

チーマーはアメリカ映画の影響を受けており、チームを組んで抗争や一般人への嫌がらせを行っていた。

チーマーのファッションはファッショナブルで、暴走族やヤンキーとは異なり、バイクで暴走したりツッパリやチンピラとは少し違った。

チーマーは後にカラーギャングへと姿を変えていった。

詳しくみる ⇒参照元: チーマーの意味とは?特徴やファッション・ヤンキーとチーマーの...

90年代不良ファッション変革の立役者

不良のファッションに影響を与えたミュージシャンの名前は?

降谷建志

90年代後半に降谷建志率いるボーカル/ギターのkjが、ファッション雑誌の表紙を飾り、不良のファッションに大きな影響を与えた。

この影響により、地方も含めた不良のファッションが大きく変化した。

また、この頃を境に、ネット時代により若者文化は多様化し、それぞれのコミュニティを形成するようになった。

ヤンキー文化では「独特の美学」が重視され、安室奈美恵をカリスマと崇める一方で、小室サウンドを否定する層もいた。

これはヤンキーのプライドの高さから、あえて人気絶頂だった小室ファミリーを避ける傾向があったためである。

詳しくみる ⇒参照元: 90年代ヤンキー文化の特徴 渋谷発B系と地方発V系

90年代ファッションのリバイバル

90年代のファッションで現在も取り入れられているスタイルは?

裏原スタイル

2020年のトレンドファッションとして、90年代の音楽シーンから影響を受けたストリートスタイルがリバイバルしています。

特に、カジュアルな裏原スタイルは大人にも人気で、ボリュームのあるダウンなどのメンズライクなアイテムが注目されています。

また、90年代前半のフレンチテイストなアイテムを取り入れた着こなしも、古臭さのない洗練された印象を与えます。

さらに、マルタン・マルジェラから生まれた「足袋ブーツ」などの斬新で個性的なアイテムも、シックなアイテムにさりげなくプラスすることで、今っぽいスタイルが作れます。

詳しくみる ⇒参照元: リバイバルする「90年代」。当時の流行ファッション&2020...

チーマーの全盛期

チーマーの活動はいつ頃が全盛期だった?

1990年代

チーマーは1984年に発祥し、1980年代後半から1990年代にかけて活動が盛んになりました。

チーマーの全盛期は1990年代で、2000年代にはほとんど見られなくなりました。

チーマーは、暴走族やヤンキーなどの他の不良グループとはファッションや活動時期が異なり、有名私立校の生徒がその発祥と言われています。

彼らは喧嘩やカツアゲだけでなく、パーティー券の押し売りや恐喝などの犯罪行為にも手を染めていました。

詳しくみる ⇒参照元: チーマーの芸能人/有名人7人!意味や特徴も解説【渋谷の不良】

渋谷の若者文化の変遷

当時の渋谷の若者の象徴と現在の若者の象徴の共通点を述べてください

どちらも渋谷を拠点とするグループであること

90年代中期の渋谷で流行したチーマーは、現在では姿を消し、渋谷の中心街はコギャルに占拠されました。

チーマー出身の有名人として、テイクアンドギヴ・ニーズの創業者である野尻佳孝氏と俳優の東幹久氏が挙げられています。

野尻氏はチーマー時代に商売で成功を収め、東氏はチーマーが凶悪化する前に芸能界入りしています。

現在の渋谷の若者の象徴はコギャルではなく、新しい文化やトレンドを生み出す存在です。

詳しくみる ⇒参照元: チーマー(渋谷の不良)の現在とは?芸能人・有名人もまとめ【画...

カラーギャングとは?

カラーギャングが模したアメリカの不良集団は何?

ストリートギャング

カラーギャングは、1990年代後半から2000年代前半に全盛期を迎えたアメリカのストリートギャングを模した不良集団で、チームごとにカラーがあり、そのカラーのバンダナやTシャツを身につけているのが特徴です。

彼らはチーマーに取って代わった存在となり、アメリカで人気のブラック系の文化やファッションを取り入れています。

なお、この記事では、東幹久、Zeebra、坂口憲二など、チーマーだったと噂される芸能人や有名人が紹介されています。

詳しくみる ⇒参照元: チーマーの芸能人/有名人7人!意味や特徴も解説【渋谷の不良】

チーマーの変遷と有名人との関わり

チーマー出身の有名人で、ドラマでチーマー役を演じたのは誰?

ドーベルマン山井

チーマーは1980年代後半から1990年代前半にかけて渋谷センター街を本拠地とした都市型の不良グループだった。

隆盛期にはロン毛や渋カジファッションを流行させたが、関東連合の台頭により自然消滅。

渋谷センター街はコギャルの聖地となった。

チーマー出身の有名人の中には、若旦那や実業家の野尻佳孝がいる。

ドラマ「池袋ウエストゲートパーク」でチーマーのドーベルマン山井役を演じたのは、チーマー出身の有名人である。

チーマーの黎明期に渋谷センター街で活動していたZeebraは、ヒップホップにハマり渡米したため武勇伝は残っていない。

若旦那は兄の友達に憧れてチーマーデビューしたが、関東連合の与国秀行の喧嘩を見て引退した。

詳しくみる ⇒参照元: チーマー(渋谷の不良)の現在とは?芸能人・有名人もまとめ【画...

チーマーのファッションの特徴

チーマーの特徴的なファッションとは?

アメカジ(渋カジ)

チーマーは他の不良グループと異なり、都会的で洗練されたファッションを好みます。

彼らは、リーバイス501などのジーンズ、エンジニアブーツ、古着などのアメカジスタイルを好んで着ていました。

また、ロン毛でヘアバンドをするのがトレンドで、オーバーサイズのジャージやリーゼントなどのヤンキーのスタイルとは一線を画していました。

詳しくみる ⇒参照元: チーマー

不良文化におけるヒップホップの影響

ヒップホップカルチャーが日本の不良文化に影響を与えたのはいつごろ?

90年代半ば

渋谷の若者のファッションが地方に広まったように、ヒップホップカルチャーも不良文化に強い影響を与えた。

特に、2PACやスヌープ・ドッグの影響を受けた日本のヒップホップアーティストの台頭が、不良たちのファッションや振る舞いに変化をもたらした。

ヒップホップ系のファッションは全国的に広まり、地方都市のシャッター街にも落書きが問題化した。

ヒップホップヤンキーの流れは、後にカラーギャングなどの不良グループにつながった。

詳しくみる ⇒参照元: 90年代ヤンキー文化の特徴 渋谷発B系と地方発V系