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スターダム・東京女子プロレス…女子プロレス団体を徹底比較!!!推し活に役立つ情報満載

ライターのYUKOです。今回は、女子プロレス団体であるスターダムと東京女子プロレスを徹底比較します。推し活に役立つ情報を満載でお届けしますので、ぜひ最後までご覧ください。

東京女子プロレスの歴史

東京女子プロレスはいつから独立した団体となったの?

2015年2月28日

東京女子プロレスは2012年にDDTプロレスの姉妹団体として設立されました。

当初はライブ音楽や他のアイドルパフォーマンスなどの他のショーと並行して運営されていましたが、2015年2月28日から独立した団体となりました。

詳しくみる ⇒参照元: Tokyo Joshi Pro-Wrestling

東京女子プロレスの創設者

東京女子プロレスの設立に関わった人物は誰ですか?

小路哲也とNozomi

東京女子プロレスは2012年6月4日にDDTプロレスリングによって発表されました。

元アイスリボンのプロモーター兼ブッカーの小路哲也とレスラーのNozomiによって運営されることが決定され、2012年後半に設立されました。

最初のレスラーとして、Miyu Yamashita、Shoko Nakajima、Kanna、Chikage Kibaの4人がリクルートされました。

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東京女子プロレス初興行詳報

プロレス団体東京女子プロレスの初興行の開催日と場所は?

2013年1月30日、秋葉原TwinBox

東京女子プロレスの初興行は2013年1月30日に東京・秋葉原TwinBoxにて開催されました。

興行では、見習いレスラーの牙城千賀とDDTレフェリー・木曽大介によるサンボエキシビションマッチ、同じく見習いレスラーの山下美優とKANNAによるシングルマッチの2試合が行われました。

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TJPW旗揚げ戦で初代王者に輝いた女子プロレスラー

女子プロレス団体TJPWのKorakuen Hall初興行でメインイベントに出場し、初代王者となった人物は誰ですか?

ミユ・ヤマシタ

2016年1月4日に東京・後楽園ホールで行われた女子プロレス団体TJPWの旗揚げ戦で、ミユ・ヤマシタが初代東京プリンセス・オブ・プリンセス王者決定戦で中嶋翔子を破り、初代王者となりました。

この大会には新人の優宇もデビューし、アメリカのプロレスラー、キャンディス・レラエも参戦しました。

TJPWはプロレス界で高い評価を得ている団体で、定期的に後楽園ホールや新木場1stRINGなどの会場で大会を開催しています。

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東京女子プロレス、後楽園ホール大会で動員1000人超え

女子プロレス団体「東京女子プロレス」で初開催の興行で、初めて1000人を超える観客を動員した

成功

東京女子プロレスは、2018年1月4日に開催した3回目の後楽園ホール大会で、過去最高の1000人以上の観客を動員しました。

この大会は、AbemaTVとDDTのストリーミングサービス「DDTユニバース」でも配信され、メインイベントでは宮下未弥が沙希様を破り、東京プリンセス・オブ・プリンセス王座を奪還しました。

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TJPWの新タイトル

7月16日にTJPWが発表した新しいタイトルの名称は?

インターナショナルプリンセス王座

TJPWは2019年7月16日、Twitterアカウントでインターナショナルプリンセス王座という新しいタイトルを発表しました。

また、東京プリンセス・オブ・プリンセス王座と東京プリンセス・タッグ王座から「東京」の名称が削除されることも発表されました。

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プロレス界の新提携「ユナイテッド・ジャパン・プロレス」誕生

プロレス界で団結を図る新しい提携が発表されました

ユナイテッド・ジャパン・プロレス

プロレス界の更なる発展を目的とした新しい提携「ユナイテッド・ジャパン・プロレス」が発表されました。

この提携にはTJPWも参加しており、会長には坂口征二氏が就任しています。

この提携はプロレスのプロモーションや組織化を通じて、日本のプロレス界の発展に貢献することを目指しています。

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アメリカの女子プロレスの歴史

アメリカにおける女子プロレスの歴史の中で、記録に残る最初の王者は誰ですか?

コーラ・リヴィングストン

アメリカの女子プロレスの歴史は古く、20世紀初頭には存在していた。

記録が残る最初の王者はコーラ・リヴィングストンで、1905年に16歳でデビューした。

当時の女子プロレスは男子プロレスの興行の中で行われており、試合写真はほとんど残っていない。

1930年代にはクララ・モーテンソンが台頭し、彼女に勝って王者になったのがミルドレッド・パークだった。

その後、ファビュラス・ムーアやメイ・ヤングがスター選手となり、1興行に1カード組まれる体制が長く続いたが、1990年代に日本から選手が流入することで崩れていった。

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女子プロレスの起源と日本人最初の女子プロレスラー

日本人最初の女子プロレスラーは誰?

猪狩定子

日本における女子プロレスは、1948年に進駐軍相手の興行としてスタートした。

初期の女子プロレスは、芝居小屋やキャバレーで行われ、お色気を強調した試合が特徴だった。

現在のような女子プロレスとは異なり、キャットファイトに近いものであった。

この初期の女子プロレスをプロレスと呼ぶべきかについては意見が分かれる。

日本人最初の女子プロレスラーは、全日本女子プロレスの記念興行で「日本人最初の女子プロレスラー」と表彰された猪狩定子である。

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日本の女子プロレスの歴史

女子プロレスが禁止された理由は?

力道山の反対

日本の女子プロレスは当初、お色気を強調したスタイルだったが、力道山の反対により1950年に禁止された。

その後、1954年に世界チャンピオンの来日で女子プロレスが再開され、現在のスタイルが確立された。

1955年には初の女子タッグ王座決定トーナメントが開催された。

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