二条家の子孫は現在も?藤原氏から続く摂家の歴史とその後
こんにちは、ライターのYUKOです。今回は、藤原氏から続く摂家の歴史と、二条家の子孫が現在も存続しているのかについて解説します。
藤原北家の嫡流と五摂家
藤原北家の嫡流とみなせる家はどれですか?
近衛家
藤原北家の嫡流は、摂政・関白を出す5つの家「五摂家」のうち、藤原忠通の長男・近衛基実の家である「近衛家」です。
五摂家は、鎌倉幕府の介入により、平安時代末から鎌倉時代にかけて固定化されました。
近衛家はその後、鷹司家と分家し、藤原氏の子孫たちは摂政・関白の継承が困難な場合に、分家してその家を継承するようになりました。
詳しくみる ⇒参照元: 藤原道長の子孫は現代にもいる?藤原氏はその後どうなった?藤原氏の衰退と院政の始まり
天皇の父が政治の実権を握るようになった制度を何と言うか
院政
摂政・関白を藤原氏から外し、天皇の父が政治を行うようになった制度を院政と呼ぶ。
この制度により、藤原氏は天皇の母方のおじいさまの地位を利用したのに対し、院政では天皇のお父さまの地位を利用して権力を握った。
院政が行われていた間も摂政・関白は藤原氏の子孫が就いており、藤原氏は武士の時代になってからも摂政・関白の職を明治維新まで保持し続けた。
ただし、豊臣秀吉と秀次は藤原氏とは縁もゆかりのない例外で、秀吉は藤原氏の一族の養子になることで関白に就いている。
詳しくみる ⇒参照元: 藤原道長の子孫は現代にもいる?藤原氏はその後どうなった?二条家:歴史と人物
室町時代に活躍した二条家の当主は誰ですか?
足利義満
二条家は九条道家の次男である二条良実を祖とする摂家・華族の公爵家です。
鎌倉時代中期に成立し、五摂家の1つとなりました。
室町時代には足利義満の側近として活躍し、戦国時代には周防国山口に滞在していました。
江戸時代には1700石の禄高でしたが、後に1780石に増えています。
幕末維新期には公武合体論を唱えましたが、王政復古後に失脚しました。
明治維新後は華族に列し、1884年に公爵に叙せられました。
二条公爵家の歴代当主には二条良基、二条斉敬、二条基弘などがいます。
詳しくみる ⇒参照元: 二条家室町幕府三代将軍足利義満の参謀役
足利義満に仕えた良基は、どのような役割を担っていたか?
参謀役
鎌倉末期の道平は、後醍醐天皇の討幕計画に参加した。
その子である良基は、室町幕府三代将軍足利義満の重要な顧問役を務めた。
良基は、足利義満に宮中の作法を教え、参内にも同行するなど、義満を支える存在だった。
良基の孫である二条満基は、足利義満から偏諱を受け、以降足利将軍家と徳川将軍家から代々偏諱を受けるようになった。
詳しくみる ⇒参照元: 二条家二条家と華族制度
明治時代に誕生した制度で、二条家もこれに列した制度は何ですか?
華族制度
明治2年(1869年)に公家と大名家が統合されて華族制度が誕生し、二条家も公家として華族に列した。
明治17年(1884年)には旧摂家として基弘が公爵に叙せられた。
明治35年(1902年)には斉敬の次男正麿が分家して二条男爵家を起こしている。
この正麿の三男弼基が本家の2代公爵厚基の養子に入って3代公爵となっている。
昭和前期には二条公爵家の邸宅は東京市渋谷区代々木富ヶ谷町にあった。
詳しくみる ⇒参照元: 二条家堂上家の経済的厚遇
幕府は一部の堂上家に経済的厚遇を与えていましたが、その家柄は?
近衛家、九条家、一条家、二条家、鷹司家
幕府は近衛家、九条家、一条家、二条家、鷹司家の堂上家5家に他の家よりも多くの家領・家禄を与えて経済的に厚遇していた。
また関白職や藤氏長者に役料として500石が支給され、摂家の加増の中には本来臨時の役職料であったものが、摂関退任後も事実上の所領に加えられた事例もあった。
さらに現職の関白を務めた人物によっては、幕府から特に援助が行われることがあった。
詳しくみる ⇒参照元: 摂家平安末期の政変と近衛・九条・松殿家
平清盛がクーデターを起こしたきっかけは?
後白河法皇による基通への所領譲渡の妨害
平清盛は、後白河法皇が盛子の死後、基通に所領を譲渡するのを妨害したため、クーデターを起こして法皇を幽閉し、基房を解官しました。
基通は平家から離れ、後白河法皇に接近することで地位を固めましたが、平氏滅亡後に失脚。
その後、頼朝の支持を受けた基通は関白に復帰しました。
詳しくみる ⇒参照元: 摂家二条家の歴史
二条家の始祖は誰ですか?
二条良実
二条家は、九条家の庶流で、鎌倉時代中期に九条道家の次男である二条良実が東二条院を継承して二条と名乗り、家祖となりました。
二条良実は関白となり、子孫は五摂家の一つとなりました。
戦国時代に大内義隆を頼って山口に滞在していた当主の二条尹房は、大寧寺の変で殺害されています。
詳しくみる ⇒参照元: 二条家摂家の家格と天皇の嫡妻
摂家の5つの家格を順位の高い順に教えてください
近衛家、一条家、九条家、鷹司家、二条家
摂家は藤原氏嫡流の5つの家格で、近衛家、一条家、九条家、鷹司家、二条家が序列順に並びます。
摂家は太政大臣まで昇任でき、藤氏長者になる資格を有していました。
天皇の嫡妻は摂家出身者が多く、摂家出身の天皇嫡妻は朝廷で大きな影響力を持っていました。
詳しくみる ⇒参照元: 摂家二条斉敬の失脚とその後
幕末維新期に失脚した二条斉敬が、その後どのような役職に任じられたか
大宮御用掛、麝香間祗候
江戸時代に1700石、後に1780石の家禄を有していた。
江戸期の屋敷は今出川北門一町東にあった。
家臣には北小路家、隠岐家、松波家など諸大夫や、小幡家、津幡家など侍がいた。
幕末維新期の二条斉敬は関白となったが、公武合体論の立場から尊王攘夷派を弾圧したため、王政復古後に失脚し朝廷への出仕を禁じられた。
その後赦免され、大宮御用掛や麝香間祗候に任じられた。
詳しくみる ⇒参照元: 二条家