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ジョニー大倉は、在日コリアンとして差別と向き合った?ロックンロール魂の軌跡とは!?

ジョニー大倉は、在日コリアンとして差別と向き合った?ロックンロール魂の軌跡とは!?
📘 この記事で分かる事!

💡 ジョニー大倉は、在日韓国人2世として生まれた。

💡 キャロル時代、ソロ歌手、俳優として活躍した。

💡 肺がんを患いながらも、音楽活動を続けた。

それでは、ジョニー大倉さんの波乱万丈な人生について詳しく見ていきましょう。

川崎の少年時代

本日は、ジョニー大倉さんの半生についてお話いたします。

🔖 関連記事の要約!マイノリティーの叫び、届け 在日韓国人2世の方さんが小説 「8割は実話」

公開日:2019/03/19

マイノリティーの叫び、届け 在日韓国人2世の方さんが小説 「8割は実話」

✅ 在日韓国人2世の方政雄さんが、在日コリアンであることを隠してきた男子高校生が「本当の姿」で生きていくことを決意するまでの青春小説「ボクらの叛乱」を出版しました。

✅ 小説は、通名で学校に通う主人公が、成績優秀ながら在日コリアンであることを理由に就職を断られ、その後教師との出会いを通して自身のアイデンティティと向き合い、差別発言に対して全校生徒を巻き込む抗議集会へと発展していく様子を描いています。

✅ 方さんは、自身の経験を投影し、マイノリティーの心の叫びを表現するとともに、外国人労働者の受け入れ本格化を控え、50年前の差別問題を改めて考えることの重要性を訴えています。

さらに読む ⇒ニュースサイトニュースサイト出典/画像元: https://mainichi.jp/articles/20190217/k00/00m/040/049000c

在日コリアンというアイデンティティと向き合う姿は、とても感動的でした。

1952年9月3日、神奈川県川崎市で生まれたジョニー大倉は、在日韓国人2世の朴雲煥として生まれました。父親は港湾労働の親方で、母親は韓国出身でした。5歳の時に父親が亡くなり、母親は3人の子供を連れて川崎の朝鮮人部落に移り住みました。幼少期は貧しいながらも、音楽に強い興味を持ち、ギターを弾き始めました。

えー、めっちゃ辛かったんやろな。

そうやね、差別って今もまだあるけんね。

あの時代は、もっとひどかったのよ。

キャロル時代とソロデビュー

ジョニー大倉さんの音楽は、ロックンロール一筋でしたね。

🔖 関連記事の要約!キャロルでの功績やソロ・キャリアから紐解く、ジョニー大倉が音楽シーンに与えた絶大な影響
キャロルでの功績やソロ・キャリアから紐解く、ジョニー大倉が音楽シーンに与えた絶大な影響

✅ ジョニーの初期ソロアルバムをまとめたベスト盤。スウィートなロックンロールで鼻っ柱の強さを表現しており、初期ソロの決定盤と言える。5曲が初CD化されている。

✅ 阿久悠が作詞を担当したアルバム。ビクター時代のジョニーがAORタッチの新路線に挑戦した作品で、骨太なハートをメロウな歌い口で表現している。

✅ ジョニーの生前の最後のリリースとなったアルバム。阿木燿子、三浦徳子、ビートたけし、横尾忠則など豪華な制作陣を迎えたコンセプト作で、デヴィッド・ボウイやポリスのようなニューウェイヴ期の意匠が刺激的な作品。

さらに読む ⇒Mikiki by TOWER RECORDS | タワーレコードの音楽ガイドメディアMikiki by TOWER RECORDS | タワーレコードの音楽ガイドメディア出典/画像元: https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/5680?page=2

ジョニー大倉さんの初期のソロアルバム、ぜひ聴いてみたいです。

1972年、ジョニー大倉はロックバンド「キャロル」のメンバーとしてデビューしました。キャロルは、その独特のサウンドとファッション、そしてジョニー大倉の巻き舌歌法で人気を博し、数々のヒット曲をリリースしました。しかし、1975年にキャロルは解散し、ジョニー大倉はソロミュージシャンとしての活動をスタートさせました。同年、彼は自身の半生を赤裸々に綴った自叙伝を出版し、在日韓国人であることを公表しました。

キャロルかっこよすぎ!

うんうん、わかるわかる。

キャロルって、懐かしいなぁ。

ソロ活動と俳優としての活躍

ジョニー大倉さんは、音楽だけでなく、俳優としても活躍されていましたね。

🔖 関連記事の要約!再評価! ジョニー大倉の功績を考える 演歌・歌謡曲 All About
再評価! ジョニー大倉の功績を考える 演歌・歌謡曲 All About

✅ ジョニー大倉が日本のロックンロールシーンに与えた影響は大きく、日本語と英語をミックスした歌詞、革ジャン×リーゼントのスタイルなど、後の世代のミュージシャンに影響を与えた。

✅ 特にキャロルの活動を通して、日本語ロックの歌詞のスタイルを確立し、和製ロックンロールスタイルを定着させたことが高く評価される。

✅ ジョニー大倉は、時代に合わせて音楽性を変化させるのではなく、ロックンロールという信念を貫き続けた生粋のロックンロール・アーティストである。

さらに読む ⇒All About(オールアバウト)All About(オールアバウト)出典/画像元: https://allabout.co.jp/gm/gc/431664/

ロックンロールへの情熱が、彼の音楽を輝かせていたんでしょうね。

ソロ活動では、1977年には日本のソロ・ロック歌手として2人目に武道館公演を敢行するなど、精力的に活動を続けました。また、山口百恵や中原理恵などへの楽曲提供も行い、音楽性を広げていきました。1980年代以降は俳優としても活躍し、映画『遠雷』で第5回日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞するなど、映画界でも成功を収めました。

ジョニー大倉って、めっちゃイケメンやん!

うん、確かにイケメンやね。

イケメンは、正義よ。

病気と死

病気との闘い、本当に大変だったと思います。

🔖 関連記事の要約!ジョニー大倉 復活ライブで涙、涙…/芸能/デイリースポーツ online
ジョニー大倉 復活ライブで涙、涙…/芸能/デイリースポーツ online

✅ ジョニー大倉が肺がんの闘病生活から復活し、ライブハウスで復活ライブを行った。

✅ 余命2週間と宣告されていたにも関わらず、奇跡的に病気はほぼ完治し、車いすで会場入りながらも力強いステージを披露した。

✅ ジョニーは涙ながらに「これからもロックンロールを歌い続けるぞ」と宣言し、会場からは大きな拍手が沸き起こった。

さらに読む ⇒ジョニー大倉 復活ライブで涙、涙…/芸能/デイリースポーツ onlineジョニー大倉 復活ライブで涙、涙…/芸能/デイリースポーツ online出典/画像元: https://www.daily.co.jp/gossip/2014/04/14/0006862248.shtml

復活ライブの映像を見たことがあるのですが、ジョニー大倉さんの力強さに感動しました。

2013年5月には肺がんにより余命2週間の宣告を受けましたが、その後も治療に専念し、4月13日には銀座タクトにて奇跡の復活ライブを行いました。しかし、2014年11月19日、肺炎により62歳で逝去しました。ジョニー大倉は、ロックンロールへの愛を貫き、その功績は日本の音楽シーンに大きな影響を与えました。彼は、自身の出自や苦難を乗り越えて、音楽と俳優という分野で成功を収め、その人生は多くの人々に感動を与え続けました。

えー、まじで!?

すごいなぁ、病気克服って。

人生は、何が起きるか分からんもんよ。

ジョニー大倉さんの人生は、まさに波乱万丈でしたね。

🚩 結論!

💡 在日コリアンとしての苦悩と、ロックへの熱い思いを貫いた。

💡 音楽と俳優の両方で成功を収めた。

💡 困難に立ち向かう姿は、多くの人々に感動を与えた。