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「朝三暮四」ってどういう意味?その本当の意味とは!?

「朝三暮四」ってどういう意味?その本当の意味とは!?
📘 この記事で分かる事!

💡 「朝三暮四」は、目先の変化に惑わされ、本質を見抜けないことを意味する故事成語です。

💡 中国の古典『列子』と『荘子』に起源を持ち、それぞれ異なる解釈がなされています。

💡 現代では、言葉巧みに人を騙す行為や、方針がコロコロ変わる様子を表す場合もあります。

それでは、早速ですが、第一章へ移りましょう。

「朝三暮四」の意味と起源

それでは、第一章、「朝三暮四」の意味と起源について詳しく解説してまいります。

朝三暮四の出典は「荘子」と「列子」でも意味は微妙に違う

公開日:2019/01/26

朝三暮四の出典は「荘子」と「列子」でも意味は微妙に違う

✅ 「朝三暮四」の故事は、『列子』と『荘子』に異なる解釈で登場します。

✅ 『列子』では、猿飼いが猿を騙す行為を通して、言葉巧みに人を欺くエセ聖人を批判しています。

✅ 一方、『荘子』では、猿の反応は表面上の違いであり、本質が同じであれば、ダブルスタンダードも許容されると解釈しています。

さらに読む ⇒はじめての三国志はじめての三国志出典/画像元: https://hajimete-sangokushi.com/2019/01/26/%E6%9C%9D%E4%B8%89%E6%9A%AE%E5%9B%9B%E8%8D%98%E5%AD%90%E5%88%97%E5%AD%90/

なるほど、同じトチの実の数でも、言い方一つで猿の反応が変わるんですね。

「朝三暮四」は、目先の利害に惑わされ、本質を見抜けない様子や、言葉巧みに人を欺くことを意味する故事成語です。起源は『荘子』と『列子』にあり、それぞれ少し異なる意味合いを持っています。『荘子』では、サルに栃の実を与える際に、朝は三つ、夜は四つと、その後朝は四つ、夜は三つと、合計は変わらないにもかかわらず、サルの喜びや怒りが変化する様子が描かれ、物事の本質を見抜かないことの愚かさについて説いています。一方、『列子』では、サルを飼う狙公が、貧しくなったためにサルの餌を減らさざるを得なくなり、言葉巧みにサルを欺く様子が描かれ、言葉による欺瞞を戒める内容となっています。現代では、『朝三暮四』は、目先の利益に惑わされ、本質を見抜けないこと、あるいは言葉を巧みに使って人を騙すことを表す際に用いられることが多いです。

そうやな、言葉って大事ってことやね。

列子における『朝三暮四』

続いて、第二章では『列子』における「朝三暮四」について詳しく見ていきましょう。

朝三暮四の意味とは? 由来である故事のストーリーや、使い方を簡単に解説

公開日:2022/07/08

朝三暮四の意味とは? 由来である故事のストーリーや、使い方を簡単に解説

✅ 「朝三暮四」は、目先の変化に惑わされ、実際は同じであることに気づかないことを意味する四字熟語です。

✅ 由来は中国の故事で、猿にトチの実の数を「朝3つ、夜4つ」から「朝4つ、夜3つ」に変え、猿を騙したことから来ています。

✅ 現代では、結果的に同じであるにもかかわらず、言葉巧みに相手を騙す行為や、方針や立場がコロコロ変わるさまを表す場合もあります。

さらに読む ⇒マイナビニュースマイナビニュース出典/画像元: https://news.mynavi.jp/article/20220708-2383154/

猿ってば、単純やなぁ。笑

『朝三暮四』は、中国の古典『列子』の中の寓話です。サルをたくさん飼っている人が、食糧不足になり、サルに与えるトチの実を減らそうとします。彼は、まず猿たちに「朝に3つ、夜に4つのトチの実を与える」と告げますが、猿たちは怒り出してしまいます。そこで「朝に4つ、夜に3つのトチの実を与える」と告げると、猿たちは喜んでその提案を受け入れます。この話から、『朝三暮四』は、表面上の言葉や数字に惑わされて、本質を見抜けないことを意味するようになりました。猿たちは、トチの実の総数が変わらないことを理解できず、単純に「朝に多い方が良い」と判断して喜んでいます。これは、人々が表面的な利益に目がくらんで、本当の問題を見過ごしてしまう様子を表していると言えます。

猿の気持ち、わかるわ。だって、朝が多い方が嬉しいもん!

列子と荘子における解釈の違い

いよいよ、第三章では『列子』と『荘子』における「朝三暮四」の解釈の違いについて解説していきます。

朝三暮四(ちょうさんぼし)

公開日:2018/06/13

朝三暮四(ちょうさんぼし)

✅ 「朝三暮四」は、言葉尻だけを変えて、実際は変わらない内容を、あたかもお得のように見せかけることを意味する故事で、猿を飼い慣らす狙公が、猿をだまして餌の量を変えようとする話として語られる。

✅ 猿は、言葉のトリックに気づくことなく、言葉の変更によって喜怒哀楽を表す。これは、人間もまた、言葉のみに惑わされ、実質的な内容を見抜けない場合があることを暗示している。

✅ この故事は、言葉と実態の乖離を指摘し、名実不二の重要性を説いている。つまり、言葉だけで判断せず、真実に目を向けることの大切さを教えている。

さらに読む ⇒三省堂WORD-WISE WEB -辞書ウェブ編集部によることばの壺-三省堂WORD-WISE WEB -辞書ウェブ編集部によることばの壺-出典/画像元: https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kotowaza42

なるほど、同じ故事でも、異なる解釈ができるんですね。

「朝三暮四」は、目先の変化に惑わされ本質を見抜けないことを示す四字熟語です。その起源は『列子』と『荘子』に記されています。両書とも猿飼いが猿にどんぐりの数を朝三暮四と変えることで、猿を喜ばせたり怒らせたりするエピソードを扱っていますが、解釈は異なります。『列子』では、猿飼いが猿を騙す行為を例に、世の中には舌先三寸のエセ聖人が愚かな者たちを操っているという主張が展開されます。これは儒者を批判する道教的な視点と言えるでしょう。一方、『荘子』では、猿の喜怒は表面的なものに過ぎず、本質は変わらないという解釈がなされます。聖人は、表面的には異なる主張であっても、本質を見据え、調和を保つ必要があるとしています。これは老荘思想における、物事の本質を見極め、表面的な変化に囚われないことの重要性を示唆しています。このように、『列子』と『荘子』は同一のエピソードから異なる解釈を生み出し、それぞれが主張する思想の違いを浮き彫りにしています。

なんか、難しい話やなぁ。

古代中国思想の深淵

では、最終章となる第四章では、古代中国思想の深淵について探っていきましょう。

世界一わかりやすい「老荘思想」
世界一わかりやすい「老荘思想」

✅ 本書は、古代中国哲学の一つである「老荘思想」を、老子と荘子本人が講演会を行なうという形式で、わかりやすく現代語訳したものです。

✅ 「道(タオ)とは何か」「無為自然とは何か」「本当の幸せとは何か」など、老荘思想の核心的なテーマについて、現代の読者にも理解しやすいように解説しています。

✅ 現代社会を生きる私たちにとって、「老荘思想」は、心の安らぎや人生の指針を見つけるための「珠玉のヒント」に満ち溢れているとされています。

さらに読む ⇒PHP研究所 PHP INTERFACEPHP研究所 PHP INTERFACE出典/画像元: https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-67033-1

深いなぁ、中国の思想って。

『列子』は儒者を批判する道教的な視点、そして『荘子』は老荘思想に基づく調和と本質を見抜くことの重要性を強調しています。両書の異なる解釈は、古代中国の思想の多様性と深淵さを示す興味深い例と言えるでしょう。

昔の人は、色々考えてたんだね。

本日は、「朝三暮四」について、その意味や起源、そして古代中国思想との関連について解説いたしました。

🚩 結論!

💡 「朝三暮四」は、目先の変化に惑わされ、本質を見抜けないことを意味する故事成語です。

💡 中国の古典『列子』と『荘子』に起源を持ち、それぞれ異なる解釈がなされています。

💡 現代では、言葉巧みに人を騙す行為や、方針がコロコロ変わる様子を表す場合もあります。