斎藤環が語る!コロナ禍の心の問題?コロナ・ピューリタニズムとは!?
💡 コロナ禍における新たな倫理観「コロナ・ピューリタニズム」について解説
💡 コロナ禍がもたらす時間感覚の変化と「カイロス時間」の重要性
💡 人と会うことの暴力性と、社会における関係性の重要性
それでは、第1章から詳しく見ていきましょう。
コロナ禍における心の問題
斎藤環氏の論考は、コロナ禍で変化する社会構造と人間の心理を深く考察したもので、大変示唆に富んでいます。
✅ 斎藤環氏は、COVID-19によって「コロナ・ピューリタニズム」と呼ばれる新たな倫理観が生まれたと主張し、それは身体レベルで根付き、過去の清教徒主義に似ていると指摘する。同時に、COVID-19は社会的なトラウマになりにくい可能性があり、社会に適切にトラウマを残すことが記憶として重要になると論じている。
✅ 時間の概念において、客観的なクロノス時間と主観的なカイロス時間が存在するが、COVID-19の影響で後者の多様性が減少している。斎藤氏は、カイロス時間を取り戻すために、内向きの「不要不急」に取り組む必要性を訴える。
✅ 斎藤氏は、人と直接会うことを「臨場性」と呼び、そこに暴力性を内包していることを指摘する。臨場性の喪失は、他者との関係性によって喚起される欲望を消滅させ、結果として社会を駆動する意欲を減退させる可能性がある。
さらに読む ⇒ webゲンロン出典/画像元: https://webgenron.com/articles/article20200609_01斎藤環氏の言葉は、コロナ禍で生まれた私たちの不安や疑問を、鋭くかつ丁寧に解き明かしてくれると感じました。
2020年6月9日、緊急事態宣言が解除され、街は活気を取り戻しつつある。しかし、COVID-19は依然として私たちのすぐそばにあり、以前のように再起動する都市や人々は、その脅威を忘れようとしているかのようだ。精神科医の斎藤環氏は、この状況下での心の問題について、様々なメディアで発信してきた。ゲンロンαでのイベントでは、コロナ禍における彼の懸念について、吉川浩満氏との対談形式で語られた。斎藤氏は、COVID-19によって新たな倫理観が形成され、それが身体レベルで根付く可能性を指摘した。彼は、この倫理観を「コロナ・ピューリタニズム」と名付け、昔の清教徒主義になぞらえている。また、COVID-19は社会的なトラウマになりにくいのではないかという懸念も表明した。過去のスペイン風邪のような大量死が発生しても、その記憶は社会に残り難かったことを例に挙げ、COVID-19も同様に忘れられていく可能性があるという。彼は、社会に適切なトラウマを残すことの重要性を主張し、デジタルな遺構を残す方法や、WHOによる終息宣言日を記念日とする方法などを提案した。さらに、COVID-19が時間感覚をも変えてしまったと論じた。客観的なクロノス時間と主観的なカイロス時間の二種類があり、コロナ禍では後者の多様性が減少し、人々は感染者数の増減に左右される単純な生活を送るようになったという。斎藤氏は、カイロス時間を取り戻すために、内向きの「不要不急」なことに取り組むことの必要性を訴えた。
なるほどね、コロナの影響って結構大きいんやね。でも、トラウマになりにくいってのはちょっと安心したわ。
人と出会うことの暴力性
斎藤環氏の「臨場性」という概念は、人と会うことの複雑さを改めて認識させてくれます。
公開日:2021/08/10
✅ コロナ禍によるリモート化は、対面での「臨場性の暴力」から解放される一方で、人とのリアルな出会いの価値を再認識させる。
✅ 多くの人はリモートの利便性を享受しながらも、リアルな交流の良さを感じており、その両方の側面を経験している。
✅ コロナ禍で最も影響を受ける大学生は、リモート授業の利便性を感じながらも、対面での交流不足による影響が懸念される。
さらに読む ⇒ニュースサイト出典/画像元: https://mainichi.jp/articles/20210809/k00/00m/040/092000cコロナ禍で私たちは、リアルなコミュニケーションの重要性を改めて感じていますね。
イベントの後半では、斎藤氏がnoteで発表した「人は人と出会うべきなのか」という記事が話題になった。斎藤氏は、目の前に人がいることを「臨場性」と呼び、それは他者への力の行使であり、暴力性を孕んでいると主張した。彼は、欲望は他者によって喚起されるものであり、暴力なしに意欲は生まれないと指摘した。また、「関係性」と「コミュニケーション」を対立する概念として定義し、コミュニケーションは相手を知る必要がない一方、関係性は相手を知ることなく構築できないと説明した。吉川氏は、斎藤氏との議論を通して、コロナ禍における人間関係やコミュニケーションのあり方について深く考察した。
最近は、若い者はみんなスマホばっかり見てるから、人と会うのが怖いのよ。昔は、もっとみんなニコニコしてたのにね。
コロナ禍とひきこもり問題
本書は、ひきこもりの問題を社会全体で理解し、支援していく必要性を訴える重要なメッセージを私たちに伝えています。
✅ 本書は、精神科医でひきこもり問題の第一人者である斎藤環氏が、ひきこもりに関する正しい知識と支援の必要性を説く入門書である。著者は、ひきこもりの平均年齢が上昇し、中高年ひきこもりが増加している現状を指摘し、高齢化や長期化が社会問題につながる可能性を危惧している。
✅ 本書では、ひきこもりに関する誤解を解くことを目的とし、ひきこもりは犯罪と無縁であること、ネットやゲームに依存しているわけではないこと、スパルタ教育で治るわけではないことなど、10の誤解と偏見を明らかにする。また、ひきこもりは社会から排除された状態であり、誰でもなり得るニュートラルな状態であることを強調し、ひきこもりを病気や怠け者とみなすのではなく、支援が必要な状態として捉えることの重要性を訴えている。
✅ 著者は、ひきこもりを排除するのではなく、ひきこもっても大丈夫な社会を目指すべきだと主張する。学校や会社に無理して行くのではなく、休むことや助けを求めることを許容する社会になれば、ひきこもりが減っていくと期待している。コロナ禍は、社会における強迫観念を見直す良い機会であり、ひきこもりに対する理解を深めるために役立つと述べている。
さらに読む ⇒日刊ゲンダイDIGITAL出典/画像元: https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/277183ひきこもりは病気ではなく、社会構造的な問題であるという指摘は、非常に納得感があります。
斎藤環氏の著書『中高年ひきこもり』は、コロナ禍における自粛生活で多くの人が直面した状況と共鳴する内容であり、ひきこもり問題を社会全体で捉え直す機会を提供する。本書は、ひきこもりを「困難な状況にある普通の人」として捉え、社会的な困難が原因でひきこもりになるケースが多いことを指摘する。コロナ禍で多くの人が経験した自粛生活は、ひきこもりの辛さや家族間におけるストレスを浮き彫りにした。一方で、外出の機会が減ったことで近隣の視線を気にせず外出できるようになったひきこもり当事者もいる。しかし、就労支援などのサポートが不足している現状では、ひきこもりの状況が今後悪化する可能性も懸念されている。斎藤氏は、若者の非社会化は社会の成熟に伴う自然な現象であり、必ずしも悪いことではないとしながらも、社会との接点が少なく、成長の機会を得られないことが問題点だと指摘する。反社会的行動は通過儀礼的な側面を持つのに対し、非社会性は成熟の機会を得られずに止まってしまうケースが多い。本書は、ひきこもりをなくすのではなく、「ひきこもりもいる明るい社会」を目指すべきだと提唱し、生産性ではなく、個人の価値観を尊重する社会の必要性を訴えている。
ひきこもりって、なんか怖いイメージやったけど、そうでもないんやね。
ひきこもり状態の理解
ひきこもり状態は、本人だけでなく、家族や社会にとっても大きな課題です。
公開日:2022/07/12
✅ 斎藤氏は、ひきこもりの定義、特徴、原因、対策について説明し、社会全体でひきこもり問題に対する理解を深める必要があることを強調しました。
✅ 斎藤氏は、ひきこもりが犯罪に繋がるという誤解を解き、ひきこもりが犯罪者ではなく、困難な状況にあるまともな人であることを説明しました。
✅ 斎藤氏は、ひきこもりの原因として、いじめやハラスメントなどを挙げ、ひきこもりが長く続くと「ひきこもりシステム」と呼ばれる悪循環に陥ることを説明しました。また、家庭内暴力の発生原因や対策についても言及しました。
さらに読む ⇒nippon.com出典/画像元: https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c05008/ひきこもり状態は、個人の問題ではなく、社会構造や家族の対応など、様々な要因が複合的に作用していることを理解することが重要です。
斎藤環教授は、ひきこもり状態は本人の個人的要因ではなく、社会からの排除や社会的孤立など環境要因が大きく影響していると指摘します。多くの人が抜け出したいと思いながらも、社会からのプレッシャーや家族からの誤った対応により、苦しみを抱えている現状を説明しています。斎藤教授は、ひきこもり状態を理解するためには、個人的な要因だけでなく、社会全体の認識や家族の対応など、環境調整が重要だと主張します。家族は、当事者を責めるのではなく、穏やかな会話を通して安心できる環境作りが大切です。家族は、支援者や専門家のサポートを受けながら、家族と本人の関係修復を目指し、会話を通して理解を深める必要があると訴えています。また、社会全体では、ひきこもりに対する偏見や誤解をなくし、当事者への理解と支援を深める必要があると指摘しています。特に、家族は、ひきこもり状態について学ぶ機会を設け、他の家族との交流を通じて、経験を共有し、対応方法を学ぶことが重要です。斎藤教授は、ひきこもり状態の原因は、個人の欠陥ではなく、社会構造や家族の対応にあることを強調し、環境調整を通して、ひきこもり状態からの脱却を促す必要性を訴えています。
ひきこもりって、結構深刻な問題やんな。でも、ちゃんとサポートがあれば、きっと大丈夫やと思うよ。
現代社会における人間関係のあり方
本書は、現代社会における人間関係の難しさ、そしてその克服方法について、深い考察と具体的なヒントを提供しています。
✅ 「なぜ人に会うのはつらいのか」は、コロナ禍が明らかにした人間関係の難しさについて、メンタルの達人である斎藤環氏と佐藤優氏が考察した新書です。
✅ 本書では、現代社会において「会うこと」が持つ「暴力性」について論じ、人が人に会う際に感じるしんどさの原因を探ります。
✅ また、そのしんどさを克服し、より良い人間関係を築くための38のヒントを提示しており、コロナ禍で変化した人間関係に悩む多くの人々に役立つ内容となっています。
さらに読む ⇒中央公論新社出典/画像元: https://www.chuko.co.jp/laclef/2022/01/150750.htmlコロナ禍で、人との距離感が変わってきたと感じている方も多いのではないでしょうか。本書は、そんな現代社会における人間関係のあり方について、新たな視点を与えてくれます。
「なぜ人に会うのはつらいのか」は、コロナ禍で顕著になった人間関係の難しさから、人との出会いを「暴力」と捉え、しんどい毎日を楽にする38のヒントを提供する書籍です。著者は精神病理学者の斎藤環氏と作家・元外務省主任分析官の佐藤優氏。本書では、人に会うことのストレスや、現代社会における人間関係のあり方について考察し、具体的な解決策を提示しています。斎藤氏は、「ひきこもり」や「社会的うつ病」の治療・支援に長年携わり、佐藤氏は国際政治や外交問題に精通しており、それぞれの専門性を活かした分析と提言が特徴です。
今の若い者は、人と会うのが苦手らしいわね。昔は、もっとみんな社交的だったのに。
斎藤環氏の言葉は、コロナ禍で揺れる私たちの心に、光を照らしてくれるような、そんな印象を受けました。
💡 コロナ禍における新たな倫理観「コロナ・ピューリタニズム」の解説
💡 リモート化による「臨場性の暴力」と、人と会うことの重要性
💡 ひきこもり問題に対する理解と、社会全体での支援の必要性