神取忍!柔道からプロレスへ転身!?その衝撃の道のりとは!?
柔道からプロレスへ!神取忍の半生を語る。デビュー戦から伝説の北斗晶との死闘まで、女子プロレス界のレジェンドの歩みを追う。還暦を迎え、今もなおリングに立ち続ける彼女の情熱に迫る!
💡 柔道からプロレスへと転身した神取忍の驚きの経歴
💡 プロレス界に衝撃を与えたデビュー戦と数々の名勝負
💡 神取忍の素顔とプロレスへの熱い情熱
それでは、神取忍さんのプロレス人生について詳しく見ていきましょう。
柔道からプロレスへの転身
神取忍はなぜプロレスの世界へ?
柔道仲間のいたずらがきっかけ
神取忍さんの柔道人生は、まさに努力と才能が結実した素晴らしいものでしたね。
公開日:2024/11/07

✅ 神取忍は、中学時代柔道を始めたきっかけは、内申書の特技欄に書きたかったからであり、当初は柔道に全く興味がなかったが、小学生に投げられたことで、柔道のおもしろさに目覚め、努力を重ねて全日本や世界選手権で活躍するまでになった。
✅ オリンピック出場も視野に入っていたが、神取は3年待てずに柔道を辞め、ジムのインストラクターになることを考えていたが、柔道仲間が面白半分でジャパン女子プロレスに履歴書を送ったことで、プロレスの世界に足を踏み入れることになった。
✅ 当初はプロレスに興味がなかった神取だが、ジャパン女子からの手紙を受け、税金対策や人に感動を与える仕事という誘い文句に惹かれ、プロレスに挑戦することを決めた。柔道とは異なるプロレスの受け身や技への考え方、そしてクラッシュブームにも背を向けていた神取は、プロレスの世界で苦悩しながらも、独自のスタイルを確立していった。
さらに読む ⇒プロレスTODAY | 楽しめるプロレスニュースサイト出典/画像元: https://proresu-today.com/archives/254331/柔道からプロレスへの転身は、神取忍さんにとって大きな決断だったと思いますが、その決断が神取忍さんのプロレス人生を大きく変えたと言えるでしょう。
神取忍は中学3年で柔道を始めたものの、当初は興味がなく、むしろ見下していました。
しかし、小学生に投げられる経験から柔道の面白さに目覚め、全日本や世界選手権で活躍するまでに成長しました。
オリンピック出場も視野に入っていたものの、3年待ちきれずに柔道をやめ、ジムのインストラクターになることを考えていました。
しかし、柔道仲間が面白半分でジャパン女子プロレスに履歴書を送ったことで、神取はプロレスの世界へ足を踏み入れることになります。
当初は女子プロレスに興味がなく、むしろからかわれていたほどでしたが、ジャパン女子からの手紙を受け、面談に行ったことでプロレスへの関心を持ち始めました。
柔道とは異なるプロレスの受け身や技を受けることに戸惑いを感じながらも、プロレスの面白さに気づき、デビュー38周年を迎えるまで現役を続け、11月18日には『神取忍還暦祭り~人生もう一度~』を開催するに至りました。
ええっ!柔道やってたんや!知らんかったー!
デビュー戦とプロレス界への衝撃
神取忍にとって後楽園ホールはどんな場所?
プロレスの聖地
神取忍さんのデビュー戦は、プロレスファンなら誰もが記憶している伝説の試合ですね。

✅ 1987年7月18日、ジャパン女子プロレス大会で、元ビューティー・ペアのエースだったジャッキー佐藤と神取しのぶの試合が、公開ケンカのような形で繰り広げられました。
✅ 神取は試合前に、12日前の葛西大会でジャッキーから場外ラリアットを受け、右目を負傷したことから、今回の試合で仕返しをすることを宣言していました。
✅ 試合では神取がジャッキーに容赦なくパンチを浴びせ、ジャッキーは戦意喪失。最後は神取の腕固めで勝負が決まりました。神取は試合後、ジャパン女子のマットに上がる気があればこのような試合はしないと語り、今後の去就について示唆しました。
さらに読む ⇒ ベースボール・マガジン社出典/画像元: https://www.bbm-japan.com/article/detail/26609神取忍さんのデビュー戦は、プロレス界に衝撃を与えただけでなく、神取忍さんのプロレス人生の始まりを告げるものでした。
神取忍は、後楽園ホールでのデビュー戦を今でも鮮明に覚えています。
それは、ジャッキー佐藤との対戦で、観客を魅せつけた名勝負であり、女子プロレスの常識を超えた闘いでした。
デビュー戦で受けた周囲の反発にも屈せず、試合で実力を見せつけ、自信に繋がりました。
後楽園ホールは、プロレス選手にとって特別な聖地であり、神取自身も多くの試合を重ねてきました。
特に印象に残っているのは、ジャッキーとのデビュー戦と、LLPW主催の『L-1』でのバーリ・トゥード大会。
どちらも、女子プロレス界に衝撃を与えた試合でした。
神取は、女子プロレス界の枠を壊すため、常に闘い続けています。
まじ!?神取忍さん、デビュー戦からスゴイやないか!
神取忍の素顔とプロレスへの情熱
神取忍さんは結婚してますか?
していません
神取忍さんのプロレス人生は、数々の伝説的な試合を生み出してきた素晴らしいものでした。

✅ 神取忍は、15歳から柔道に打ち込み、全日本選手権3連覇、世界選手権3位の実績を持つ。1986年に「ジャパン女子プロレス」に入門し、北斗晶との伝説の喧嘩マッチやブル中野とのチェーンデスマッチなど数々の名勝負を繰り広げた。
✅ 2000年に行われた天龍源一郎との男女混合マッチは、性別を超えた戦いを見せ、神取に「ミスター女子プロレス」という異名をもたらした。この試合では大ケガを負ったものの、神取は「戦いには男も女もない」という信念を貫き、観客に強いメッセージを送った。
✅ 神取忍はプロレスラーとしての活動と並行して、2004年には参議院議員選挙に出馬し、当選を果たした。政治家としての活動を通して、プロレスと政治の共通点を見出しており、どちらも「人々を助け、喜ばせるエンターテインメント」だと考えている。
さらに読む ⇒ 週刊女性PRIME出典/画像元: https://www.jprime.jp/articles/-/31248?display=b神取忍さんは、プロレスラーとしてだけでなく、政治家としても活躍されました。
その経験を通して、神取忍さんはプロレスと政治の共通点を見出しており、どちらも人々を助け、喜ばせるエンターテインメントだと考えています。
神取忍さんは、現役の女子プロレスラーであり、女子プロレス団体『LLPW-X』の代表を務めるなど、精力的に活動を続けています。
還暦を迎えた現在も、リングに立ち続け、その強さと情熱は衰えていません。
神取忍さんは、結婚しておらず、結婚する予定もないようです。
2024年3月のインタビューでは、「結婚とかもうないね」「一人の時間が染みついちゃって」と語っており、仕事やプロレスに情熱を注いできたため、結婚を考えることは少なかったようです。
神取忍さんは、6歳年上の姉と1歳年上の兄がいる三人姉兄の末っ子として生まれました。
父親は厳格な性格で、神取さんは厳しい躾の中で育ちました。
神取忍さんは、柔道家からプロレスに転身したきっかけについて、「柔道では、自分の体格では勝てない相手も多かった。
プロレスなら、体格や年齢に関係なく、努力次第で強くなれると思った」と語っています。
政治家もやってたんや!神取忍さん、スゴイわ!
女子プロレス界の歴史に残る一戦
北斗晶が女子プロレス界の頂点に立った転換点となった試合は?
神取忍との激闘
北斗晶さんと神取忍さんの試合は、女子プロレス界の歴史に残る名勝負ですね。
公開日:2020/03/18

✅ 1993年4月2日、全日本女子プロレスが横浜アリーナで行った興行は、JWP、LLPW、FMW女子を加えたオールスター戦で、長与千種引退試合以来の横浜アリーナ進出となりました。
✅ 北斗晶vs神取忍戦は、リングアウトなしの完全決着ルールで行われ、北斗の顔面にグーパンチを浴びせた神取がダウンし、北斗はマイクで神取を挑発しました。試合は激しく、北斗は左肩を脱臼し、神取も流血するなど、両者とも怪我を負うほどの死闘となりました。
✅ 試合終盤、北斗は神取のスリーパーホールドから逃れ、ビンタからパイルドライバーで突き刺し、神取は北斗の腕を腕固めで捕獲してチキンウイングフェースロックで締め上げました。その後、北斗はブレーンバスター、ボディースラムからダイビングボディープレスを投下するも、神取は剣山で迎撃し、パワーボムで叩きつけました。最後は北斗がジャーマンスープレックス・ホールドを決めて勝利しました。
さらに読む ⇒伊賀プロレス通信24時出典/画像元: https://igapro24.com/2020/03/25/history-16/北斗晶さんと神取忍さんの試合は、女子プロレス界のレベルの高さを示すだけでなく、二人のプロレスラーの熱い闘志を感じさせる素晴らしい試合でした。
神取忍さんが立ち上げた女子プロレス団体『LLPW-X』は、2011年に設立され、プロレスと他の文化や要素をクロスさせることを目指しています。
神取忍さんは、『LLPW-X』の代表として、プロレス界の発展に貢献しています。
1993年4月2日に行われた、全日本女子プロレス、JWP、LLPW、FMW女子による「夢のオールスター戦」は、女子プロレス対抗戦時代の幕開けとなる歴史的興行でした。
特にセミファイナルの北斗晶VS神取忍は、北斗晶がヒールターンしてからも苦戦していた中で、神取忍という「幻想の塊」とも称される存在との対戦を実現させたことで、北斗晶が女子プロレス界のトップに躍り出た試合として、歴史に名を刻んでいます。
この試合は、北斗晶が神取忍に噛みつきまくるなど、実現までに多くの苦労があったことが伺えます。
試合の内容は、北斗晶の凶暴性と神取忍の幻想的な雰囲気が対照的な、まさに「デンジャラス・クイーン」と「幻想の塊」の戦いと言えるものでした。
この試合の盛り上がりは、メインイベントの試合が、空席が目立つ凡戦になってしまったほどで、観客は北斗晶VS神取忍の試合で気力を使い果たしてしまったともいわれています。
この試合は、北斗晶が女子プロレス界のトップに立つための大きな転換点となり、神取忍も「プロレスラー神取忍」として改めて生まれ変わりました。
また、女子プロレスの凄さをプロレスファンに認識させた、エポック的な試合として記憶されています。
神取忍さん、北斗晶さんと戦ったんや!マジやばい!
伝説の一戦:北斗晶VS神取忍
北斗晶vs神取忍の伝説の試合、勝者は?
北斗晶
北斗晶さんと神取忍さんの試合は、女子プロレス史に残る伝説の試合ですね。

✅ 1994年11月に行われた東京ドーム大会における北斗 vs 神取の試合は、観客を熱狂させ、伝説の一戦として語り継がれている。しかし、この試合は 10 時間にも及ぶ長時間に渡り、観客の中には終電に乗り遅れてしまう「帰宅難民」も発生した。
✅ 当時、プロレスイベントは現在のように時間管理が厳格ではなく、終電を逃しても観客はタクシー代を自己負担するなど、自己責任で対応していた。
✅ 小川氏は、北斗 vs 神取の試合は観客の記憶の中で美化され、当時の過酷な状況は忘れられているのではないかと指摘している。また、女子プロレスは過去には熱狂的な時代もあった一方で、現在はスターダムの台頭など、新たな時代を迎えている。
さらに読む ⇒Number Web - ナンバー出典/画像元: https://number.bunshun.jp/articles/-/857240?page=3北斗晶さんと神取忍さんの試合は、女子プロレス界の黄金時代を象徴するものであり、多くのプロレスファンに感動を与えました。
1993年4月2日、横浜アリーナで行われた女子プロレスオールスター興行にて、全日本女子プロレスの北斗晶とLLPWの神取忍の初対決が実現しました。
この試合は「デンジャラス・クイーン決定戦」と銘打たれ、二人の激しい闘いが期待されました。
試合は北斗の強烈な右ストレートから始まり、神取は肩を脱臼するほどのダメージを受けながらも、闘志を燃やして反撃。
場外戦では机を破壊するほどの激しさを見せ、両者流血するほどの死闘となりました。
最後は北斗がカウンターの右ストレートで神取をダウンさせ、30分37秒で勝利を収めました。
試合後、北斗は神取の闘い方を批判し、神取は怒りをあらわにしながら控え室へ。
この試合は、北斗の「デンジャラス・クイーン」としての地位を確立し、女子プロレス史に残る伝説の試合として語り継がれています。
神取忍さん、東京ドームで試合したんや!すげぇー!
神取忍さんのプロレス人生は、まさに努力と情熱の結晶と言えるでしょう。
💡 柔道からプロレスへと転身し、数々の名勝負を繰り広げてきた神取忍
💡 プロレス界に衝撃を与えたデビュー戦と、北斗晶との伝説の試合
💡 プロレスラーとしてだけでなく、政治家としても活躍した神取忍