カープ坊や、愛され続ける理由とは?広島の象徴、その魅力に迫る!カープ坊や、誕生秘話から進化、そして功績まで!
1975年、広島カープ初優勝の年に誕生した「カープ坊や」。イラストレーター岡崎福雄氏(ガリバー岡崎)が手掛けた、子どもたちの夢を乗せたデザインは、球団の象徴に。球団車のペットマークから、グッズ、コラボまで、愛され続ける理由は? 最古参マスコットとして、広島の地でファンと共に歩むカープ坊やの歴史と魅力を紐解きます。
💡 カープ坊やは1975年に誕生し、広島東洋カープの初優勝を記念してデザインされました。
💡 カープ坊やはグッズ展開や様々なコラボレーションを行い、多様なバリエーションが生まれています。
💡 カープ坊やは、広島市民にとって身近な存在であり、チームとファンを繋ぐ大切な役割を担っています。
それでは、カープ坊やについて詳しく見ていきましょう。
まずはその誕生秘話から。
カープ坊や誕生秘話
カープ坊や誕生のきっかけは?
球団創立50周年
カープ坊やの誕生には、イラストレーター岡崎福雄さんの想いが込められていますね。

✅ 「カープ坊や」の生みの親である岡崎福雄さんが45年前に描いた幻のキャラクター「勝鯉くん」が、Tシャツになって復活しました。
✅ 「勝鯉くん」は、戦国武将の采配を持った勇ましい鯉の姿で、カープ坊やと共に公募に応募されたものの落選し、長らく日の目を見ることはありませんでした。
✅ このTシャツは、カープロードにあった飲食店「スポーツファンベースヒロシマ」の岡村オーナーが、コロナ禍で閉店したお店の再オープン資金集めのために制作しました。Tシャツの販売を通して、岡村オーナーは「もう一度、カープロードで店を復活させたい」という強い思いを表明しています。
さらに読む ⇒デイリースポーツ出典/画像元: https://www.daily.co.jp/baseball/carp/2020/10/06/0013760409.shtml幻のキャラクター「勝鯉くん」のTシャツ復活は、カープロードの再建への熱い思いを感じますね。
ファンとしては応援したい気持ちです。
1975年、広島東洋カープは球団創立50周年を迎えました。
この年、カープは初優勝を果たし、球団の象徴となるマスコットキャラクター「カープ坊や」が誕生しました。
カープ坊やのデザインを手掛けたのは、イラストレーターの岡崎福雄さん(ガリバー岡崎)です。
岡崎さんは、広島市内の広告代理店で働きながら、球団のマスコットキャラクター募集を知り、カープ坊やをデザインしました。
カープ坊やの誕生には、子どもたちに夢と希望を与えたいという岡崎さんの想いが込められています。
えー、カープ坊やって、そんな昔からおったんや! え、岡崎さんって人がデザインしたん? えらい!
カープ坊やの進化
カープ坊や、どんな存在?
カープの象徴
「My坊や」サービス、面白いですね。
カープファンにとっては特別な記念になりますね。

✅ 広島の企業スペースエイジが、カープ坊やの生みの親であるガリバー岡崎氏によるオリジナル似顔絵を使った年賀状の注文を受け付けている。
✅ 「My坊や」と呼ばれるこのサービスは、依頼者の顔をカープ坊や風にアレンジしたもので、Tシャツ、マグカップ、ジッポー、エプロンなど9種類の商品に印刷することが可能。
✅ スペースエイジは来年、このサービスを本格展開し、カープファンを中心に広めていきたいと考えている。
さらに読む ⇒広島経済新聞出典/画像元: https://hiroshima.keizai.biz/headline/996/カープ坊やのデザインの幅広さには驚きです。
色々なバリエーションがあることで、より長く愛される秘訣かもしれませんね。
カープ坊やは、当初は球団車のペットマークとして誕生しました。
その後、グッズやイラストなど幅広く使用されるようになり、広島東洋カープを象徴する存在として、多くのファンから親しまれるようになりました。
カープ坊やは、アレンジされたものが多く存在します。
奥田民生とのコラボレーションによる「民生坊や」や、カープの選手になった「選手坊や」、カープ坊やの女の子バージョンなど、様々なバリエーションが生まれています。
カープ坊や、いろんなバージョンがあるんすね! 俺もMy坊ya作って、自慢したかー!
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プロ野球最古参マスコット!カープ坊やは広島の誇り。チームとファンを繋ぐ愛されキャラ、その人気は永遠に不滅!