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佐賀藩の近代化への挑戦!鍋島直正と佐賀藩士たちの軌跡とは?佐賀藩近代化への道:財政改革、西洋技術導入、人材育成

幕末の佐賀藩主・鍋島直正。西洋列強との差を痛感し、藩の近代化へ邁進!財政改革から始まり、反射炉建設、蒸気船建造、教育改革と、西洋技術を積極的に導入。揺れる時代の中で、佐賀藩を強国へと導き、明治維新を支える人材を育成。その功績は、今も佐賀の歴史を彩り、未来へと繋がっている。鍋島直正の軌跡を辿る、熱き改革の物語。

佐賀藩の近代化への挑戦!鍋島直正と佐賀藩士たちの軌跡とは?佐賀藩近代化への道:財政改革、西洋技術導入、人材育成

📘 この記事で分かる事!

💡 佐賀藩主・鍋島直正は、藩の財政改革を断行し、近代化への資金基盤を確立しました。

💡 西洋技術を積極的に導入し、反射炉や蒸気船の建造を通じて軍事力を増強しました。

💡 教育と人材育成に力を入れ、近代化を支える人材を育成しました。

佐賀藩の近代化の道のりを、資料を基にご紹介いたします。

本日は、佐賀藩の近代化を支えた三つの柱に焦点を当てて解説していきます。

若き藩主の決意と財政改革

佐賀藩を近代化させた藩主、鍋島直正の最初の改革は?

財政改革!粗衣粗食、リストラ、借金整理。

佐賀藩は、幕末に異国からの脅威に対抗するため、藩政改革と西洋技術の導入を急ぎました。

若き藩主・鍋島直正のリーダーシップのもと、佐賀藩は近代化を推し進めます。

幕末に近代化しまくっていた佐賀藩と鍋島直正

公開日:2021/02/10

幕末に近代化しまくっていた佐賀藩と鍋島直正

✅ 佐賀藩はフェートン号事件を契機に、異国の侵入に対応するため急速な近代化を推進し、日本初の製鉄所や反射炉を建設、蒸気船やアームストロング砲を自力で開発するなど、幕末に高い軍事力を誇った。

✅ 鍋島直正の下、財政改革と西洋技術の研究に注力し、黒船来航以前から近代化を進めた佐賀藩は、倒幕運動においては日和見主義を貫いたものの、鳥羽・伏見の戦い後に新政府軍に加わり、上野戦争でその軍事力を示し貢献した。

✅ 明治維新後、佐賀藩は薩長土肥の一つとして新政府内で重要な役割を担い、江藤新平や大隈重信などの著名な人物を輩出したが、明治六年政変で多くの藩士が下野し、その後の貢献は限定的だった。

さらに読む ⇒草の実堂 - 色々なものを調べてみる雑学専門サイト出典/画像元: https://kusanomido.com/study/history/japan/bakumatu/32949/

鍋島直正は、17歳で藩主となり、財政難の中、改革を断行。

重臣の反対を乗り越え、制度改革と人材登用を進めた手腕は、現代社会にも通じるものがありますね。

17歳で佐賀藩主となった鍋島直正は、長崎での西洋列強との軍事技術の差を目の当たりにし、藩の近代化を強く決意しました

藩の財政は逼迫しており、まずは財政改革に着手。

粗衣粗食令や藩役人のリストラ、借金整理を断行し、改革は重臣の反対を受けながらも、佐賀城火災を機に本格化しました。

古賀穀堂の助言を受け、制度改革と人材整理を進め、幕府からの借金で資金を調達しました。

この財政基盤の確立が、その後の佐賀藩の近代化を支えることになります。

えー、鍋島はんすごいな!17歳で藩主とか、もはやドラマの世界やん!改革も大変やったやろうけど、佐賀藩のこと思って頑張ったんやろなー。かっこええ!

西洋技術導入と軍事力増強への道

鍋島直正が近代化で最も力を入れたことは?

反射炉建設と西洋技術の導入

鍋島直正は、西洋の軍事技術との差を埋めるため、技術導入に注力しました。

オランダの技術書を参考に反射炉建設に着手し、幕府からの支援も得ながら、近代化への道を歩みます。

若きリーダー・鍋島直正が幕末佐賀で起こした「近代化の奇跡」(前編)

公開日:2024/12/16

若きリーダー・鍋島直正が幕末佐賀で起こした「近代化の奇跡」(前編)

✅ 幕末の佐賀藩主・鍋島直正は、西洋との軍事技術の差を痛感し、近代化を目指して財政改革や人材育成に乗り出した。

✅ オランダの技術書を参考に、反射炉建設のためのプロジェクトチームを発足させ、人材育成と鉄材の確保に努めた。

✅ 幕府からの資金援助を受け、嘉永年間に築地反射炉の建設を開始し、西洋技術導入への第一歩を踏み出した。

さらに読む ⇒WEB歴史街道出典/画像元: https://rekishikaido.php.co.jp/detail/2854

反射炉の建設は、西洋技術導入の象徴ですね。

資金調達や人材育成など、多くの困難を乗り越えて実現したことは、並々ならぬ努力の賜物だと思います。

財政の安定化と並行して、鍋島直正は西洋技術の導入に力を注ぎました。

アヘン戦争の影響を受け、西洋科学技術の重要性を痛感し、長崎を通じて海外情報を収集。

オランダ陸軍少将の著書から鉄製大砲鋳造技術を学び、反射炉建設を決意しました。

佐賀藩は鉄の産地である松江藩との婚姻を通じて材料を確保。

嘉永3年には「大銃製造方」プロジェクトチームを発足させ築地反射炉の建設に着手、幕府からの資金援助も得て、日本の近代化を目指しました。

反射炉の建設と並行して、日本初の実用蒸気船「凌風丸」を建造するなど、軍事技術を向上させるための取り組みも行われました。

いやー、反射炉とかマジでロマンあるよね!俺もなんか作りたいわー。佐賀藩の人たちみたいに、最先端技術にワクワクしてた時期もあったんやろなー、俺もワクワクしたい!

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教育と人材育成に尽力した鍋島直正。佐賀藩を近代化へ導き、明治維新を支えた功績を、展示会で多角的に紹介。鍋島家の歴史と人道主義にも迫る。