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岡真史と父・高史明の詩集『ぼくは12歳』とは?喪失と再生の物語を紐解く?12歳で自死した岡真史と、その父・高史明の作品、詩集『ぼくは12歳』

12歳で自死した岡真史。父・高史明(金天三)が編んだ詩集『ぼくは12歳』は、透明な光を放つ息子の魂の記録。子供らしい無邪気さ、世の中への思いが詰まった詩は、父に深い悲しみと救いを同時に与えた。在日朝鮮人作家・高史明は、息子との対話、親鸞の言葉を通して「いのち」の意味を問い続けた。喪失と再生、父と子の魂の交流を描いた、深く心に響く物語。

岡真史と父・高史明の詩集『ぼくは12歳』とは?喪失と再生の物語を紐解く?12歳で自死した岡真史と、その父・高史明の作品、詩集『ぼくは12歳』

📘 この記事で分かる事!

💡 岡真史の詩集『ぼくは12歳』は、12歳で自死した彼の詩を父である高史明がまとめたもの。

💡

💡 詩集には、子供ならではの色彩、陽気さ、無邪気さ、そして世の中への思いが込められている。

本日は、12歳という若さで自ら命を絶った岡真史さんと、その父である高史明さんの詩集『ぼくは12歳』について掘り下げていきます。

幼い息子の死を乗り越えようとした父の姿を通して、喪失と再生の物語に触れていきましょう。

始まりと喪失:12歳という年齢

12歳で自死した岡真史の詩集、そこには何が込められている?

子供の色彩、陽気さ、無邪気さ、そして世の中への思い。

12歳という年齢で自死を選んだ岡真史さんの詩集『ぼくは12歳』。

この詩集は、父である高史明さんと母である岡百合子さんによってまとめられました。

彼の死が、両親にどのような影響を与えたのでしょうか。

一日一文 岡真史「ぼくは12歳」より
一日一文 岡真史「ぼくは12歳」より

✅ 詩集「ぼくは12歳」を再読し、著者の岡真史氏の父親である高史明氏の作品への関心を深めた。

✅ 再読を通じて、子供の頃に読んだ詩集の記憶と、子供時代に感じていた複雑な感情が甦った。

✅ 「太陽の子」の解説との繋がりを感じ、高史明氏の作品『生きることの意味』を読むことを決意した。

さらに読む ⇒Gaju。出典/画像元: https://gaju.info/9048

岡真史さんの詩集、本当に色々な思いが込められていたんですね。

子供の頃の純粋な気持ちや、繊細な感情が詩を通して伝わってきます。

高史明さんのその後の心情の変化も気になります。

12歳という若さで自死した岡真史の詩集『ぼくは12歳』。

この詩集は、父である作家の高史明(本名:金天三)氏と母である岡百合子によってまとめられました

高史明氏は、息子の死後、詩を通して息子の゛透明な光゛を感じ、深い悲しみと喪失感を抱えながらも、その悲しみから救われたくないという複雑な心情を抱えていました。

詩集には、小学6年生の晩秋から死の直前まで書かれた、子供ならではの色彩、陽気さ、無邪気さ、そして世の中への思いが込められています。

えー、12歳って…うちの弟と変わらんやん!ちょっと想像できへんけど、詩集ってどんなんやろ?気になる〜!

父と息子の物語:詩集を通して

12歳で逝った岡真史。死後、父が出版したものは?

詩作集『ぼくは12歳』

詩集『ぼくは12歳』は、角川文庫、筑摩書房から出版され、様々な形態で読者に届けられました。

高史明さんは、息子さんの死後、この詩集を通して何を感じたのでしょうか。

詩集を通して、父と子の物語を紐解いていきましょう。

岡真史 著 「ぼくは12歳」 筑摩書房/角川書店
岡真史 著 「ぼくは12歳」 筑摩書房/角川書店

✅ 12歳で亡くなった岡真史の作品をまとめた書籍が複数種類紹介されており、『ぼくは12歳』というタイトルで、角川文庫、筑摩書房から出版されている。

✅ これらの書籍は、著者の岡真史の詩集や、高史明が編集に携わったもので、筑摩少年図書館版やちくま文庫版など、様々な形態で出版されている。

✅ 岡真史の作品以外に、高史明が著した『生きることの意味』という書籍も紹介されており、こちらも筑摩書房から出版されている。

さらに読む ⇒RISA-1972出典/画像元: https://risa1972.sakura.ne.jp/oka_masahumi.htm

詩集『ぼくは12歳』は、様々な形で出版されているんですね。

たしかに、色々な方が手に取りやすいように工夫されているのかもしれません。

高史明さんが、この詩集を通して何を伝えたかったのか、深く知りたいです。

岡真史は、1962年に生まれ、12歳で自ら命を絶ちました。

作家である父の影響を受け、幼少期から多くの本に親しんだ真史。

彼の死後、父の手によりまとめられた詩作集『ぼくは12歳』が出版され、大きな反響を呼びました

手帳の表紙に書かれた「ひとり、ただ、崩れ去るのを待つだけ」という言葉は、高史明氏に衝撃を与え、息子の心情を痛感させました。

この詩集は、高橋悠治による10編の曲付けという形で音楽作品としても発表されました(うち矢野顕子による3曲の歌唱)。

しかし、彼の死に関する遺書は見つかっていません。

なるほどね〜。え、でも12歳で自死って…なんか、色々あったんやろーなーって想像しちゃうよね。でも、詩集ってなんか難しそうやけん、読むのちょっと怖いかな…

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在日朝鮮人作家・高史明。息子を看取り、歎異抄から「いのち」を学ぶ。詩集『ぼくは12歳』に込められた深い愛と喪失、そして再生の物語。