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鍋島家と小城藩の歴史を紐解く!小城藩主たちの武芸と文化、賢崇寺と佐賀鍋島家墓所の静寂の秘密とは?小城藩:鍋島家の興亡と武芸・文化の発展

佐賀の地で花開いた鍋島家の壮大な歴史。宇多源氏の流れを汲む鍋島氏は、小城藩を立藩し、武芸や文化で名を馳せました。激動の時代を生き抜き、幕府との関係を築きながら、その足跡を刻んだ歴代藩主たち。賢崇寺や佐賀の墓所には、彼らの墓が静かに佇み、栄華の記憶を伝えます。歴史ロマンあふれる鍋島家、その軌跡を今、紐解きましょう。

鍋島家と小城藩の歴史を紐解く!小城藩主たちの武芸と文化、賢崇寺と佐賀鍋島家墓所の静寂の秘密とは?小城藩:鍋島家の興亡と武芸・文化の発展

📘 この記事で分かる事!

💡 鍋島家は宇多天皇を祖とし、京から佐賀へ。龍造寺氏との関係を深め、佐賀藩と小城藩へと分かれました。

💡 小城藩は柳生新陰流を継承し、武芸と文化が発展しました。小城藩主たちは幕府との関係を築き、各々の時代を生き抜きました。

💡 賢崇寺には鍋島家歴代藩主の墓所があり、佐賀鍋島家の歴史を今に伝えています。鍋島直正の墓所も佐賀に存在します。

今回の記事では、佐賀鍋島家の中でも小城藩に焦点を当て、その歴史、武芸、文化、そして賢崇寺や佐賀鍋島家墓所について詳しく解説していきます。

鍋島家の黎明と小城藩の誕生

佐賀鍋島氏、台頭のきっかけは?

田手畷の戦いでの活躍。

小城藩は、佐賀藩主鍋島勝茂の長男・鍋島元茂によって立藩され、江戸時代を通じて鍋島家の支藩として存在しました。

そこには、現在の小城高校の敷地となった小城城がありました。

小城城/アクセス・場所・地図 佐賀藩の支藩で二代藩主鍋島勝茂の嫡男鍋島元茂が築いた小城城【日本の歴史 お城特集】
小城城/アクセス・場所・地図 佐賀藩の支藩で二代藩主鍋島勝茂の嫡男鍋島元茂が築いた小城城【日本の歴史 お城特集】

✅ 小城城は佐賀県小城市にあった平城(陣屋)で、鍋島勝茂の長男・鍋島元茂によって1616年に築城された。

✅ 元茂は佐賀藩主になれなかったため、父勝茂から7万3千石を分与され小城藩を立藩し、江戸時代を通じて鍋島家の支藩として存続した。

✅ 現在は小城高校の敷地となっており、正門前に石橋、庭園跡は桜岡公園として整備されている。

さらに読む ⇒日本の歴史ガイド~日本の城 城跡 史跡 幕末~出典/画像元: https://www.jp-history.info/castle/5524.html

小城藩の始まりは、元茂が父の勝茂から7万3千石を分与されたことから。

佐賀藩から分かれたんですね。

小城藩主は、佐賀藩との関係を保ちながら、その地を治めていったんですね。

時は流れ、佐賀の地には鍋島氏が台頭しました。

宇多天皇を祖とする源氏の流れを汲む鍋島氏は、京の北野から肥前に移り住み、鍋島を名乗りました。

鍋島家の始祖である経秀は、天満宮との縁から蠣久荘へ。

その後、本庄に拠点を移し、龍造寺氏に接近を図りました。

享禄3年(1530年)の田手畷の戦いでの活躍により、鍋島清房は佐賀郡本庄80町の地を恩賞として与えられ、龍造寺氏との縁を深めました。

この清房が建立した高傳寺は、鍋島家の菩提寺となりました。

そして、佐賀藩初代藩主鍋島勝茂の庶長子として生まれた鍋島元茂が、佐賀藩から分家し小城藩を立藩

初代藩主となりました。

えー、鍋島家ってそんなすごい人たちの末裔やったんや!教科書でしか知らんかったけど、ちょっと興味湧いてきたかも!

小城藩主たちの時代:武芸と文化の隆盛

初代藩主、鍋島元茂は何に通じていた?

武芸、仲介役、多芸に通じた

小城藩は、柳生新陰流を継承し、武芸が盛んでした。

初代藩主鍋島元茂は柳生新陰流の免許皆伝を得るなど、武芸にも秀でていました。

また、文化的な活動も行われました。

小城・柳生新陰流」柳生宗矩直伝の秘巻を受け継ぐ剣豪の街を訪ねる『佐賀小城市』

公開日:2017/07/21

小城・柳生新陰流」柳生宗矩直伝の秘巻を受け継ぐ剣豪の街を訪ねる『佐賀小城市』

✅ 佐賀県小城市には、柳生宗矩から直伝された柳生新陰流が江戸時代から受け継がれており、小城藩初代藩主鍋島元茂がその伝承者となった。

✅ 柳生新陰流に関する資料は、小城市立歴史資料館に多く所蔵されており、柳生十兵衛の書状や西小路鍋島家が出した免状などが展示されている。

✅ 小城市は、柳生新陰流の剣豪を多く輩出し、現在は西小路鍋島家の屋敷を改装したギャラリー&カフェ「小城鍋島家ten」などでその歴史に触れることができる。

さらに読む ⇒佐賀ポータル出典/画像元: http://saga-port.com/2015/10/2281/

柳生新陰流が小城藩に伝わっていたとは驚きです。

武芸と文化の両面に渡り、藩主たちが積極的に取り組んでいたことが分かります。

歴史資料館で資料が見られるのもいいですね。

初代小城藩主鍋島元茂は、柳生新陰流の免許皆伝を得るなど、武芸にも秀でていました

島原の乱鎮圧にも参加し、晩年は幕府と佐賀藩の仲介役を務め、多芸に通じた人物でした。

2代鍋島直能は桜岡に屋敷を造営し庭園を造るなど、文化的な活動も行いました。

3代鍋島元武は江戸城奥詰を務め、徳川綱吉の信任を得ました。

歴代の藩主たちは、幕府との関係を築きながら、それぞれの時代を生きました。

俺、剣道やっとったけん、柳生新陰流とかちょっと気になるっちゃね!なんかカッコよさそうやん?小城藩の人たちも強かったんやろーなー!

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佐賀鍋島家の歴史を辿る。激動の時代を生き抜いた藩主たちの墓所が、都会の静寂の中に。壮大な墓石群が、栄華を今に伝える。