東寺と教王護国寺の違いを解説!!歴史と正式名称について

東寺と教王護国寺の違いを解説します。歴史と正式名称についてご紹介します。
東寺の建立年

796年(延暦15年)
東寺は796年(延暦15年)に藤原伊勢人が造寺長官となり羅城門の東側に建立された。その後、823年(弘仁14年)に嵯峨天皇により東寺は弘法大師・空海に下賜され、真言密教の根本道場として栄えることとなった。東寺は国家鎮護の密教寺院であり、別名「教王護国寺」とも呼ばれている。 詳しくみる ⇒ 参照元: 東寺(教王護国寺)
東寺の正式名称

教王護国寺です。
東寺の正式名称は教王護国寺ですが、普段は東寺と呼ばれています。境内でも東寺の名前がよく使われ、拝観案内や提灯にも大きな文字で「東寺」と書かれています。東寺は京都に住む人や参拝者にとって親しみがある名前です。 詳しくみる ⇒ 参照元: 東寺と教王護国寺はどちらが正式名称なのか?
教王護国寺の概要

教王護国寺は宗教法人の登録名であり、国家鎮護の密教寺院として知られています。
宗教法人としての登録名は「教王護国寺」であり、国家鎮護の密教寺院という意味合いが込められています。寺内の建造物の国宝・重要文化財指定官報告示の名称は「教王護国寺五重塔」等となっています。また、「東寺」という名称も創建当時から使用されてきた歴史的名称であり、公式の文書・記録等には原則として「東寺」という表記が用いられてきました。 詳しくみる ⇒ 参照元: 東寺
東寺の官寺とは?

東寺は国家鎮護の官寺である。
東寺は国家鎮護の官寺であり、真言密教の根本道場として知られている。平安時代後期に一時衰退したが、鎌倉時代からは弘法大師信仰の高まりとともに広く信仰を集めるようになった。特に宣陽門院の寄進により、東寺は栄えるようになった。現在も東寺では空海に深く帰依した儀式が行われており、善男善女が参列している。また、東寺は多くの貴顕や為政者の援助を受けて栄えた歴史を持っている。 詳しくみる ⇒ 参照元: 東寺
東寺と教王護国寺の正式名称は?

東寺が正式名称です。
東寺は京都市南区に建つ五重塔で有名なお寺であり、教王護国寺とも呼ばれていますが、正式名称は東寺です。東寺は延暦15年(796年)に創建され、平安京造営の際に王城鎮護を目的として建てられました。京都のお寺では複数の名前で呼ばれることがありますが、東寺は東寺が正式名称です。 詳しくみる ⇒ 参照元: 東寺と教王護国寺はどちらが正式名称なのか?
教王護国寺の名前の由来

後醍醐天皇が鎮護国家を目的として命名したためです。
教王護国寺はもともと東寺と呼ばれ、鎮護国家を目的として創建されました。しかし、後に空海に下賜され、真言密教の根本道場として教王護国寺と呼ばれるようになりました。この名前の由来は、後醍醐天皇が鎮護国家を目的として命名したためです。後醍醐天皇は、鎌倉幕府を滅ぼし、天皇中心の政治体制を築こうとしましたが、足利尊氏と対立し、吉野に逃れました。この時から、吉野に後醍醐天皇の南朝と京都に足利尊氏が光明天皇を擁立した北朝が同時に存在し、南北朝時代が始まりました。 詳しくみる ⇒ 参照元: 東寺と教王護国寺はどちらが正式名称なのか?
東寺金堂の再建時期

東寺金堂は慶長8年(1603年)に再建された。
東寺金堂は慶長8年(1603年)に豊臣秀頼の寄進により再建された。建築様式は和様と大仏様が併用され、内部には薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩の両脇侍像が安置されている。金堂は豊臣秀吉の造立した方広寺初代大仏殿(京の大仏)を模したものとされている。金堂には観相窓が設けられているが、その高さは安置されている薬師如来の御顔の高さと合っていないため、観相窓としては無用の代物になっているという。 詳しくみる ⇒ 参照元: 東寺
講堂の本尊は何か?

講堂には大日如来を中心とした密教尊を安置している。
金堂の背後に建つ講堂は、東寺が空海に下賜された弘仁14年に建設工事が着工され、承和6年に完成した。講堂は単層入母屋造で純和様であり、大日如来を中心とする五体の如来像、五体の菩薩像、五体の明王像が安置されている。これら21体の仏像群からなる立体曼荼羅は、空海が構想したものであり、その教理的背景については論争がある。東密では、講堂立体曼荼羅は仁王経曼荼羅を表したものと伝承されてきたが、その尊像構成は『仁王念誦儀軌』だけでは説明がつかないとされている。建築史家の足立康は、講堂立体曼荼羅は特定の経典に基づくものではなく、空海が適宜選択した尊像を組み合わせたものであると主張している。 詳しくみる ⇒ 参照元: 東寺
東寺真言宗の総本山の場所

京都市南区にある。
東寺真言宗の総本山は京都市南区に位置している。794年に建立され、平安時代には護国の寺として知られた。中世には源頼朝や後宇多上皇らの庇護を受け、豊臣・徳川両氏の保護のもとに復興した。多くの文化財を所蔵しており、国宝もある。 詳しくみる ⇒ 参照元: 教王護国寺(きょうおうごこくじ)とは? 意味や使い方
教王護国寺は京都市南区九条町にある東寺真言宗の総本山であり、... 続きは次のページで!
