【奇習】東北に実在した“合同初体験” ― 少年少女がお互いの行為を見せ合う奇妙な風習
文化の違い
同じ日本という国でも、住んでいるところが違うだけで食べる物も言葉のニュアンスも違います。
時に、カルチャーショックを受けることもありますが、違いを知るということは面白いと感じることもありますよね。
しかし、今回の東北の習わしは、驚愕と言っても過言ではないかもしれません。
いったい、どんな意味があるのでしょうか・・・。
初体験を合同で・・・?
「まあ、平たく言えば、お互いに初めてのことを見せ合うということです。それだけの話。別に物珍しいものでもないでしょう?(苦笑)」
かつて自分も体験したという81歳の男性。
生まれ育った東北の寒村では、
成長して思春期を迎えた少年少女が、別の少年少女と共に、「合同」で初体験を行う風習
が存在していたという。合同で、というところがカナリ気になりますよね・・・。
なぜ合同?
東北って、どこか保守的なイメージがありましたが、こういうことに関してはオープンなのでしょうか・・・。
「たしかにね、そういうことをしてこなかったよその人からすればね、おかしなことをしているように思うかもわかりませんけどね、そういう決まりごとになっていたんだからしょうがないんです。そうでなければ、いつまで経っても、好いた女と抱き合うことなんてできやしないんですから。だから私もそうでしたけれども、みんな割と早い時期に、そうした体験をしたものですよ」
そうでなければいつまで経っても好きな人と結ばれない、とはいったいどういうことなのでしょうか・・・!
初体験の年齢がだんだん下がってきていることが深刻になりつつある現代で、昔から思春期を迎えた男女がこんなことになっていたなんて、衝撃です。
許可が必要
「私の場合は14の頃だったと思いますけどね、色気づいて交際するようになると、やっぱりそういうことをしたくなるじゃないですか。そうするとね、それを名主さんに申し出るんです。それでしばらく経つと、同じような男女が出てきて、要はその人らとね、お互いの行為を見せ合うということです。二回目以降はね、見せなくていいんですけども、人生で最初の一回目は、必ずそうする決まりになっていましたよ」
名主さんに申し出るところからはじまるだなんて・・・、そういった文化のない人からすれば信じられませんよね。
そういうことって、できるだけひっそりこっそりしたいと思うのが本心なはずです。
初体験同士のカップルが集められて合同で行わされるという、なんとも思春期には恥ずかしすぎる・・・。
いや、思春期じゃなくても無理ですね・・・。
破れば村八分
いくら生まれたところの習慣だと言われても、きっと人間ならば恥ずかしい、できるなら避けたいという感情を抱くはずです。
しかし、もし、
名主に申し出ずにそういった行為をしたことがバレた場合、当人たちだけでなく家族まで村八分
になってしまうという恐ろしい結末が待っているのです。これは何としてでも避けることができない運命ともいえます。
おかげでみんなが仲よくなる?
しかし、この習慣があるおかげで
特殊な連帯感が生まれて、逆に暮らしやすくなる
のだとか・・・。たしかに、かなり恥ずかしいことを見せ合った仲ならば、多少のことは隠さなくなるでしょうし、腹を割って話すことも容易にできそうな気もします。
逆に関係がこじれることも
村の連携は総体的にはとれるかもしれませんが、カップル同士はこのような習慣のせいでぎくしゃくしてしまうこともあったそうです。
初体験を見せ合った別の異性と結婚することも・・・。
ちょっと複雑ですが、初恋の相手とは結ばれないと言われるのもわかる気がします。
奇習の裏にあるもの
そもそも、どうしてこんな大胆で無謀ともいえる習慣が存在しているのだと思いますか?
奇習を村全体で乗り越えることで、結束力が高まる、破れば村八分。
このような常識がまかり通っていくことで、
村人たちを自然と統治することができるという狙いが隠れている
のかもしれません・・・。かつての日本
今では県知事や市長などという形でその地域をまとめる存在がありますが、まだ県や市という区分けがはっきりとなされていなかった時代は、権力者がその地域のあれこれを取り仕切っていました。
彼らは村人たちの統率を測るため、自分の地位を確保し続けるためにあらゆる手段を使って来たはずです。
今回の東北のケースのように、信じられないものは調べてみると数多くありました。
女児は共有財産
近畿地方のある集落では、
女児が生まれると、誰が親なのかをはっきりとさせないまま、集落全体の子どもとして
扱われていたそうです。そのため、女性は結婚という定義もないまま複数の男性との間に子どもを産み、それが繰り返されてきたというのです。
しかし、この背景には差別に近い扱いを受けていた集落の人たちが生き残っていくための唯一の手段でした。
お嫁に来てくれる人がいないため、自分たちで繫栄させていくしかないー。
記述にはこういったことはあまり残ってもおらず、歴史の教科書にもあまり見かけませんが、
奇習と呼ばれるものの裏にはこのような悲しい事実も存在している
ようです。いかがでしたか?
まだまだ知らない驚くべき習慣が日本にはあります。
現存していないものがほとんどではあるかと思いますが、地図にはのっていない集落も存在しているという話もあります。
今でも先人たちの教えが諺などで残っているように、昔の人たちはカナリの知恵を持っていたことがうかがえます。
奇習の裏に隠れている様々な事実を垣間見たことで、
何も考えずに言われたこと存在する常識だけを鵜呑みにして生きることに、はっとさせられたのではないでしょうか?
「なぜ?」を念頭に物事を見て、自分の頭で考えて生きるのもひとつの知恵なのかもしれませんね。
サムネイル:引用元
〈記事作成に参考にさせていただいたサイト〉