淡谷のり子と笠置シヅ子の関係性について探る
ライターのYUKOです。今回は、淡谷のり子と笠置シヅ子の関係性について探ってみます。
ブルースの女王vsブギの女王: 淡谷のり子と笠置シヅ子の確執
淡谷のり子は、なぜ笠置シヅ子を批判していたのですか?
ジャズ観の違い
「ブルースの女王」として人気だった淡谷のり子は、戦後にブレイクした「ブギの女王」笠置シヅ子の歌声を批判していました。
淡谷のり子は、笠置シヅ子の歌を「不自然な発声法」「オーバーすぎるジェスチャー」「不必要に怒鳴り立てる大きな声」と評し、日本人の誤ったジャズ観が笠置シヅ子を台無しにしていると主張していました。
また、淡谷のり子は、笠置シヅ子の歌声は上京当初は好感が持てたものの、その後おかしくなってしまったとも語っていました。
詳しくみる ⇒参照元: 【ブギウギ】「福来スズ子は終わった歌手」茨田りつ子がスズ子を...淡谷のり子と笠置シヅ子の関係
淡谷のり子と笠置シヅ子の関係はどのようなものだった?
淡谷が笠置を好ましくは思っていなかった
朝ドラ「ブギウギ」に登場する茨田りつ子は淡谷のり子をモデルにしており、笠置シヅ子は以前の朝ドラ「わろてんか」でも描かれた。
淡谷は10年早くスターになり、「ブルースの女王」として君臨していたが、笠置は淡谷に憧れていた。
しかし、歌唱スタイルが全く異なり、淡谷は笠置の陽気な歌を好ましく思っていなかった。
淡谷が笠置をライバル視していたかは不明だが、そこまでライバル意識はなかったと思われる。
詳しくみる ⇒参照元: 笠置シヅ子と淡谷のり子との関係は、仲良しだった?「わろてんか...笠置シヅ子と淡谷のり子:対照的なライバル関係
笠置シヅ子と淡谷のり子の関係はどのようなものだったのか?
対照的だった
笠置シヅ子は淡谷のり子に憧れ、対照的なスタイルで切磋琢磨するライバルとなった。
笠置シヅ子はブギウギのリズミカルな「陽」のスタイル、淡谷のり子は哀愁漂うブルースの「陰」のスタイルで人気を博した。
2人は仲良しというよりは、互いに信頼し成長し合った関係であった。
詳しくみる ⇒参照元: 笠置シヅ子と淡谷のり子の関係は?仲良し? ブギウギ茨田りつ子...歌とともに生きた3人の歌姫たち
淡谷のり子は戦争中に軍歌を歌わなかったのはなぜ?
軍国主義への抵抗
戦時下で「国賊歌手」の汚名を着せられながらも、軍歌を歌うことを拒否した淡谷のり子。
彼女は「私のドレスは戦闘服よ」と決意を固め、生涯歌を愛し続けました。
一方、笠置シヅ子は晩節を汚さず潔く歌から引退。
江利チエミは志半ばで命を落としましたが、彼女たちの卓越した歌唱力は今もなお輝きを放ち、思い出深いメロディが美しい歌声とともに蘇るスペシャル番組です。
詳しくみる ⇒参照元: ザ・偉人伝江利チエミ、笠置シヅ子、淡谷のり子 ~人生を変えた...ブルースとブギの女王の戦前戦後
淡谷のり子と笠置シヅ子の関係は?
戦前と戦後を代表する歌謡界の女王同士。
淡谷のり子は1937年に「別れのブルース」でブルースの女王と呼ばれ、笠置シヅ子は1947年に「東京ブギウギ」でブギの女王と呼ばれるようになった。
2人は年齢も7歳離れており、淡谷は戦前から活躍し、笠置は戦後から活躍した。
笠置は戦中は華やかすぎると忌避され、苦労したそうだ。
詳しくみる ⇒参照元: 淡谷のり子と笠置シヅ子の関係とは?ブルースとブギの女王の仲を...笠置シヅ子、ブギの女王への道
笠置シヅ子が「ブギの女王」と呼ばれるようになったきっかけは?
エノケンとの出会い
笠置シヅ子は、松竹歌劇団に入り服部良一と組んでジャズを歌っていた。
戦争で活動の場が狭まるも慰問などで歌い続け、エノケンとの出会いにより「ブギの女王」と呼ばれるようになった。
戦後は「東京ブギウギ」の大ヒットで人気を博し、女優としても活躍した。
明るく笑顔でキレキレに踊る姿が印象的だった。
詳しくみる ⇒参照元: 笠置シヅ子と淡谷のり子との関係は、仲良しだった?「わろてんか...歌い続けた淡谷のり子
淡谷のり子の特徴は?
最長寿で歌い続けた歌手
淡谷のり子は、1998年に亡くなるまで歌手として活躍し続け、76歳でディック・ミネさんとデュエット曲「モダンエイジ」をレコーディングしました。
これは今でも最高齢記録として残っています。
しかし、1993年に脳梗塞を発症し、言語や手足の麻痺などが残り体調も悪化してしまいます。
それ以降は、歌い続けることはできませんでしたが、1996年には人の前に姿をお見せになり、その場にいた全員と一緒に歌った「聞かせてよ愛の言葉よ」が淡谷さんが人前で歌った最後の曲になりました。
詳しくみる ⇒参照元: 淡谷のり子と笠置シヅ子の関係、娘や若い頃の苦労と最後まで歌手...歌に捧げたブルースの女王・淡谷のり子
淡谷のり子の結婚観とは?
歌に専念するため結婚を避けていた
淡谷のり子は、歌手に専念するために結婚を避けていました。
彼女は家庭に入らず、未婚の母として一人娘を育てながら歌に打ち込みました。
淡谷は、結婚すると女性歌手は命懸けで歌うことが難しくなるため、歌を優先することを選んだのです。
一方、ライバルと見られていた笠置シズ子は、結婚して家庭を持っていました。
淡谷はクラシック出身の音楽エリートでしたが、笠置は少女歌劇出身で、二人は対照的な存在でした。
しかし、同時期に活躍し、ともに「女王」と呼ばれていました。
詳しくみる ⇒参照元: 「幼稚なジャリタレは歌手でなくカス」とぶった斬った毒舌家・淡...笠置シヅ子の生涯の歌
淡谷のり子と笠置シヅ子の対談で、笠置シヅ子は生涯どんな歌を歌い続けるといったのか?
ブギ
淡谷のり子と笠置シヅ子は、1949年に「荊の道を語る」という対談を行った。
その際、笠置シヅ子は「生涯ブギを歌い続ける」と発言。
淡谷のり子は「ブギは一時的で必ずすたれる」と反論したが、笠置シヅ子は「私が歌う限り流行し続ける」と啖呵を切った。
しかし、10年後に再会した際には、笠置シヅ子は「あんなもん歌えまっか。
心臓が破れそうですわ。
ああ言ったんは若気の至りでんがな」と、ブギを歌うことを否定した。
淡谷のり子は、笠置シヅ子が先にブギを降りてしまったことを残念に思っていた。
淡谷のり子は、戦中戦後、どんなにへんぴな地の掛小屋でも、そこに舞台があればためらいなく向かった。
どんなに少なくても自分の歌に泣いてくれる人がいたら歌うという淡谷晩年の真骨頂といえる。
詳しくみる ⇒参照元: 朝ドラ「ブギウギ」モデルの笠置シヅ子と淡谷のり子の交差と相違...茨田りつ子の実在モデルは?
茨田りつ子の実在モデルは誰?
淡谷のり子
「ブギウギ」に登場する茨田りつ子は、青森県出身の「ブルースの女王」として知られる淡谷のり子をモデルにしています。
淡谷のり子は、ヒロインのスズ子が憧れる歌手で、2人は良きライバルとして芸能界で活躍する設定です。
詳しくみる ⇒参照元: 笠置シヅ子と淡谷のり子の関係は?仲良し? ブギウギ茨田りつ子...淡谷のり子の笠置シヅ子への感情の真意
淡谷のり子の笠置シヅ子への態度の根底にはどのような感情があったのか?
特別な感情
淡谷のり子の笠置シヅ子への批判的な態度は、単なる敵意ではなく、苦しい時代を共に生き抜いた盟友への特別な感情の裏返しであったと推測される。
このことは、ドラマ「ブギウギ」における茨田りつ子とスズ子の衝突が最終的には二人の関係をより強固なものにする展開と類似している。
詳しくみる ⇒参照元: 【ブギウギ】「福来スズ子は終わった歌手」茨田りつ子がスズ子を...ブギウギ時代の代表的歌手と彼らの魅力
戦後を代表する歌手の一人として昭和の歌謡曲界を牽引した人物は?
二葉あき子
昭和歌謡の黄金期であるブギウギ時代を代表するトップ歌手の一人である二葉あき子は、戦後を代表する歌手の一人としても活躍した。
代表曲に「夜のプラットホーム」「水色のワルツ」「フランチェスカの鐘」などがあり、多くの人々の心に響く歌声で知られた。
ブギウギ時代の魅力を牽引した歌手の一人として、今でも根強い人気を誇っている。
詳しくみる ⇒参照元: 淡谷のり子、笠置シヅ子、渡辺はま子、二葉あき子、ブギウギ時代...戦前の流行歌手、淡谷のり子と笠置シヅ子の関係
淡谷のり子と笠置シヅ子の関係は?
服部良一を通して交流
淡谷のり子と笠置シヅ子は、戦前の流行歌手として知られています。
淡谷のり子のシングルマザーという境遇に似た笠置シヅ子は、淡谷のり子に親近感を抱いていたようです。
また、2人は服部良一を通して交流があったとされています。
淡谷のり子は、娘と夫の情報を非公開としています。
詳しくみる ⇒参照元: 淡谷のり子の娘は秋元順子で夫はディック・ミネ?笠置シヅ子との...淡谷のり子:貧困からスターダムへ
妹の治療費を稼ぐために淡谷のり子が行った仕事は?
ヌードモデル
青森の実家が没落した淡谷のり子は、妹の治療費を稼ぐため、美術学校のヌードモデルをした。
また、東洋音楽学校を首席で卒業したが、家族の生活費を稼ぐためにクラシック歌手の夢を諦め、流行歌手の道に進んだ。
軍歌を歌わず、戦時中には代表曲「別れのブルース」が発売禁止となったが、戦地慰問ではリクエストに応えて堂々と歌いあげた。
監視に付いた将校がわざと所用を思い出したふりで退席することで「黙認」したというドラマでの名場面は、史実通りである。
淡谷のり子は、92歳で亡くなるまでブルースやシャンソンを歌い続け、テレビでも歯に衣着せぬ発言で人気者となった。
詳しくみる ⇒参照元: 「幼稚なジャリタレは歌手でなくカス」とぶった斬った毒舌家・淡...淡谷のり子と笠置シヅ子、その関係
淡谷のり子と笠置シヅ子の関係は、淡谷のり子が笠置シヅ子の実力をどのように評価していたか?
存在感を認めていた
淡谷のり子と笠置シヅ子は服部良一に師事した共通点があり、娘を持つシングルマザーという共通点があった。
お互いの家を行き来していたり、笠置シヅ子の娘に「お母さんには感謝しなさい」と発言するなど、お互いの娘への愛情を理解していた。
また、戦時中に合同公演を行なったという記述から、淡谷のり子は笠置シヅ子の存在感を認めていたと考えられる。
詳しくみる ⇒参照元: 笠置シヅ子と淡谷のり子との関係は、仲良しだった?「わろてんか...