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原節子 - 日本映画界のレジェンド - ハーフの噂とマッカーサーとの関係

こんにちは、ライターのYUKOです。今回は、原節子のハーフの噂とマッカーサーとの関係についてお話します。

原節子さんと小津映画

原節子さんは、小津映画を代表作とされることに対し、どのような思いがあったのでしょうか

不満だった

原節子は、小津映画で世界的にも知られていますが、実は小津作品を代表作とされることが不満でした。

インタビューで自分の代表作について聞かれても、かたくなに小津映画は挙げませんでした。

役柄が、自分が理想としていた女性像とは違っていたからです。

詳しくみる ⇒参照元: 生誕100年・原節子を巡る神話と真実:小津映画に不満、生涯の...

原節子と小津安二郎の深い絆

原節子と小津安二郎の関係は?

尊敬

原節子と小津安二郎は、映画というものを通して深い絆を育んできた。

原節子は小津安二郎の代表作に次々と出演し、日本一に女優という地位まで上り詰めた。

小津安二郎の死後は女優業を引退し、小津安二郎への尊敬の念を示した。

二人の恋愛関係については諸説あるが、映画評論家の貴田庄は「恋愛感情に似た想いはあったものの、恋仲にまでは発展していなかった」と語っている。

詳しくみる ⇒参照元: 原節子はハーフ?結婚は?晩年の写真発見!マッカーサーや小津安...

原節子のハーフの噂の真相とは?

原節子はハーフの噂があったが、実際はどうだったのか?

れっきとした日本人。

原節子は、その美貌からハーフの噂が流れていたが、実際はれっきとした日本人だった。

彼女の父は会田藤之助、母はミナという名前で、どちらも日本人である。

また、原節子は身長165㎝と当時としてはかなりスタイルが良く、タレントの出川哲朗とは遠い親戚にあたる。

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原節子のフリー第1作

1947年に原節子がフリーとなって第1作目の作品は?

安城家の舞踏会

原節子は1920年に生まれ、1947年には27歳であった。

1947年に原節子は東宝を離れ、フリーとなった。

フリーとなった第1作目の作品は、松竹の作品『安城家の舞踏会』である。

『安城家の舞踏会』は、松竹のスタッフが原節子の風格に圧倒されたというほど、原節子の演技力が光る作品である。

詳しくみる ⇒参照元: 「原節子」生誕100年 映画ベスト10

原節子の魅力

原節子の特徴とは?

清楚さ・ダークな魅力

原節子は、日本映画の黄金時代を代表する女優であり、戦後復興の明るさを体現した女優でもあった。

原節子は、清楚な女性を演じた小津安二郎監督の作品で知られているが、それとは正反対のダークな魅力も持っていた。

原節子は、1920年6月に生まれ、今年が生誕100年である。

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戦争で傷ついた人々に希望を与えた映画

当時、戦争で身内を失ったり、衣食住に困ったりする人が多いなかで、原節子が観客にどれだけ豊かなものを与えたか想像できる作品とは?

『青い山脈』

映画『青い山脈』は、戦争で身内を失ったり、衣食住に困ったりする人が多いなかで、原節子が観客にどれだけ豊かなものを与えたか想像できる作品です。

封建的な田舎に赴任した、進歩的な教師を演じた原節子は、教え子に「家のため、国家のため、個々の人格を束縛して一つの型にはめこむ」のは日本社会の大きな誤りだと諭します。

このシーンがとりわけ素敵で、原節子の輝きには眼を奪われます。

監督の今井正はやや頭の固い人かもしれませんが、『青い山脈』の原節子の輝きは別格です。

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原節子の引退後の寄付

原節子が引退後に会田昌江名義で寄付をした記念碑の目的は?

小津と野田の有縁地碑

原節子は1968年に公の場から姿を消し、1994年に肺炎のため亡くなった。

引退後は隠し撮りされた写真がほとんどで、メディアに登場することはなかった。

しかし、小津と野田の有縁地碑を建てるため、1973年に「会田昌江」名義で寄付をした。

また、笠智衆の通夜前に極秘に訪れたのが最後の目撃であった。

詳しくみる ⇒参照元: 原節子

野獣のような対立関係。

原節子は小津安二郎とどのような関係だったのでしょうか

野獣のような対立関係。

小津安二郎と原節子は、映画の撮影現場において互いに一歩も引かず、対峙しあうという野獣のような関係であったと証言されている。

その緊張感が、紀子3部作の魅力であると評されている。

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原節子独身の理由

原節子が結婚しなかった理由とは?

美しさを保ちたかったから。

原節子は老いる前に引退し、美しいままのイメージを保ちたかったため、結婚せずに一生独身を貫いたと考えられています。

また、原節子は「永遠の処女」と呼ばれており、小津安二郎監督との仲が噂されたこともありましたが、実際は監督と女優の間の深い信頼感や師弟愛の一種だったのではないかと推測されています。

原節子は小津監督が亡くなった後は鎌倉でひっそりと暮らしていたと言われています。

詳しくみる ⇒参照元: 原節子、マッカーサーやハーフ説の真相は?昭和の大女優に迫る!

原節子の特徴

原節子の特徴は?

センターフォワードでない。

原節子は映画の中で、センターフォワードのように前に出るだけの人ではない。

アシストやサイドアタックをするときもその能力を存分に発揮している。

原節子の激しさが、抑制された小津映画の中ですごく効果的だと評価されている。

詳しくみる ⇒参照元: 「原節子」生誕100年 映画ベスト10

原節子の小津作品出演歴

小早川家の秋は原節子の最後の小津作品だが、原節子はそれ以前に小津監督の別の作品にも出演している

秋日和

秋日和は1960年に公開された小津安二郎監督の映画。

亡夫の七回忌を終えた美しい未亡人と、婚期を迎えた娘の間に起きる小さな心の波風を繊細に描く。

原節子は亡夫の妹である三輪秋子を演じた。

秋日和は小津安二郎監督の代表作のひとつであり、日本映画史に残る名作として知られている。

詳しくみる ⇒参照元: 銀幕デビューから八十年 女優 原節子のすべて

原節子のハーフ説とマッカーサーとの噂の真相

原節子のハーフ説やマッカーサーとの噂話は本当か?

原節子はハーフでもクォーターでもなく、純粋な日本人である。

マッカーサーとの親密な関係を噂されたが、それは誤報である。

原節子は1962年の映画『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』を最後に突然引退した。

その理由は語られることはなかった。

詳しくみる ⇒参照元: 原節子、マッカーサーやハーフ説の真相は?昭和の大女優に迫る!