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『少年の日の思い出』の考察:エーミールと「ぼく」の関係が示唆する、成長と劣等感の複雑さ

ライターのYUKOです。今回は、トーマス・マンの短編小説『少年の日の思い出』について考察します。

少年時代の罪

主人公は少年時代、どのような犯罪を犯したのか

友人の蝶のコレクションを盗んだ

この物語の主人公は、ある日夕方の散歩から帰ってきた客人を書斎で迎え、部屋の窓辺に腰を下ろして会話をする。

客人は主人公に少年時代の思い出を語り始める。

主人公は少年時代、友人の蝶のコレクションを盗んだことがあると告白する。

この物語では、主人公の人物像が、夕方&窓辺というシチュエーション、半額縁構成、そして盗みを犯したという過去の出来事によって表現されている。

詳しくみる ⇒参照元: 『少年の日の思い出』あらすじ&解説!エーミールとぼくのサナギ...

劣等感と被害妄想の関係

劣等感の積もりすぎにより、どんな感情に陥る可能性がある?

被害妄想

劣等感は、人と自分を比較することによって生じる感情です。

劣等感が積み重なると、被害妄想に陥る可能性があります。

被害妄想とは、根拠のない疑いや妄想にとらわれて、自分は迫害されていると思い込む症状のことです。

劣等感に悩んでいる人は、人と自分を比較しないようにしたり、自分の良いところを認めるようにしたりして、劣等感を克服するようにしましょう。

詳しくみる ⇒参照元: ヘルマン・ヘッセ『少年の日の思い出』あらすじと解説【劣等感!...

失われたコレクション

蝶をコレクションしていた少年は、なぜコレクションを全てつぶしてしまったのか?

コレクションへの未練を断ち切るため

かつて少年は、美しい蝶を手に入れたことを自慢するため、隣に住む模範少年エーミールに見せに行った。

しかしエーミールは、少年の蝶を欠点だらけだと酷評した。

少年は、二度とエーミールに蝶を見せないことを決意した。

ある日、エーミールが希少な蝶を手に入れたと噂を聞いた少年は、エーミールの留守中に蝶を盗んでしまった。

しかし、家に帰る途中で後悔し、エーミールに蝶を返すために戻ったが、蝶はボロボロになっていた。

少年は、エーミールから軽蔑のまなざしで見られ、それ以上はコレクションを続けることはできないと悟った。

少年は、自分の大切なコレクションを、ひとつひとつ、手でつぶしてしまった。

詳しくみる ⇒参照元: 『少年の日の思い出』あらすじ&解説!エーミールとぼくのサナギ...

蝶から人間観察へ

作品に登場する「僕」の情熱が、蝶から何へと変わったのか

人間観察。

中学の国語の時間で読んだヘルマン・ヘッセの短編『少年の日の思い出』は、蝶のコレクションに情熱をかけていた少年の「僕」が、ある日、近所に住む少年「エーミール」がクジャクヤママユという珍しい蝶をさなぎから返したという噂を聞いて、その蝶を盗み、偶然にもつぶしてしまう。

その後、「僕」は蝶への情熱を失い、人間観察に情熱を注ぐようになる。

作品では、エーミールが「そうか、そうか攻撃」を行い、「僕」がその攻撃を受けるシーンが印象的である。

この作品は、人間の心理を深く洞察した名作である。

詳しくみる ⇒参照元: 解説・考察「少年の日の思い出」—なぜ自分の蝶を潰したのか?主...

クジャクヤママユの羽化のメタファー

エーミールがクジャクヤママユを羽化させた出来事は、何のメタファーとして読むことができる?

大人の成長

少年の日の思い出は、エーミールと「ぼく」の妹が関係を持ち、それを憎んでいた「ぼく」の心境が、クジャクヤママユの事件に繋がったというストーリーである可能性がある。

このことから、クジャクヤママユを羽化させた出来事は、大人の成長のメタファーとして読むことができる。

詳しくみる ⇒参照元: 『少年の日の思い出』あらすじ&解説!エーミールとぼくのサナギ...

教科書に掲載されたヘッセの作品

ヘルマン・ヘッセの短編小説『少年の日の思い出』が日本の教科書に掲載されたのはいつ頃?

1947年

ヘルマン・ヘッセの短編小説『少年の日の思い出』は、1931年に発表された作品で、中学校1年生の国語教科書に掲載されている。

この作品は2008年以降、「ヘルマン・ヘッセ昆虫展」として具現化され、全国30都市以上で展覧されている。

さらには軽井沢高原文庫で開催された際、軽井沢演劇部により朗読劇にもなり、軽井沢ほか東京でも上演された。

また、この昆虫展をきっかけに、ヘッセ自身が採集したチョウ(パルテベニヒカゲ)が大阪府在住のコレクター所有のチョウ類コレクションの中から発掘され、大阪市立自然史博物館にてヘッセ昆虫展に合わせ一般公開された。

詳しくみる ⇒参照元: 少年の日の思い出

少年の苦い思い出

なぜ、少年は傷つき悲しんだのか?

チョウを愛していたから。

少年はチョウを愛していたからこそ、チョウのコレクションを貶されたことに傷つき悲しんだ。

チョウのコレクションは、少年にとって喜びだったが、エーミールによる仕打ちによって、下劣さを証明する装置に変わってしまった。

この苦い思い出は、大人になっても癒えることがない。

詳しくみる ⇒参照元: 『少年の日の思い出』の話ーなぜ「ぼく」は自分のチョウを押し潰...

汚されたチョウチョの記憶

幼少期に友人のチョウチョを盗んだ主人公は、何に苦しんだのか?

美しいチョウを壊してしまったことに

私は友人と子供の頃の思い出について話していた。

すると友人が幼年時代に自分も熱心にチョウチョを収集していたと語り始める。

しかしその思い出を自分は汚してしまったという。

それは、友人が主人公のチョウチョコレクションを見て、自分のコレクションを思い出してしまい、そのことを語り出したからだった。

友人は、主人公と同じようにチョウチョを収集していたが、ある日、友人が主人公のコレクションを盗んでしまった。

友人は、盗みをしたという気持ちより、自分がつぶしてしまった美しい珍しい珍しいチョウを見ているほうが、自分の心を苦しめたと語った。

友人は、もうどうしようもなかった。

自分は悪漢だということにきまってしまい、エーミールはまるで世界のおきてを代表でもするかのように、冷然と、正義をたてに、あなどるように、主人公の前に立っていた。

友人は、主人公にそうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだなと言った。

主人公は、友人に謝罪したが、友人は許さなかった。

主人公は、友人に許してもらうために、自分のコレクションをすべて友人に渡した。

友人は、主人公のコレクションを受け取り、主人公を許した。

詳しくみる ⇒参照元: 『少年の日の思い出』解説|母が優しくしてくれたのはなぜか|あ...

エーミールの不可解なセリフの理由

エーミールが「きみのコレクションならもう知っている」と言った理由は?

エーミールは「ぼく」が盗みを働いたことを知っていた。

「ぼく」はエーミールのコレクションを壊してしまい、謝罪のため自分のコレクションをあげることを申し出るが、エーミールは「きみのコレクションならもう知っている」と言い、受け取らなかった。

これは、エーミールが「ぼく」が盗みを働いたことを知っていたためである。

また、「ぼく」がエーミールのコレクションを壊したことを知っていたため、謝罪を受け入れなかったと考えられる。

さらに、エーミールは「ぼく」が蝶や蛾を粗末に扱っていることも知っていたため、コレクションをあげても意味がないと考えた可能性もある。

詳しくみる ⇒参照元: 『少年の日の思い出』あらすじ&解説!エーミールとぼくのサナギ...

盗んだ主人公の心理

エーミールから蝶を盗んだ主人公は、その行為について、どう考えているか

反省していない。

主人公は、蝶に対する欲望が段階的に膨らんでいき、最後はその欲望にあらがえず、衝動的に盗みをしてしまう。

盗みをした時点では、罪悪感は全くなく、「やった、クジャクヤママユを手に入れたぞ」という満足感だけだった。

しかし、女中とすれ違ったことで、「自分は盗みをした、下劣なやつだ」という自己嫌悪や罪悪感をもよおす。

しかし、見つかりはしないかという不安に襲われ、本能的に、獲物を隠していた手を上着のポケットに突っ込む。

詳しくみる ⇒参照元: 解説・考察「少年の日の思い出」—なぜ自分の蝶を潰したのか?主...

ヘッセ「少年の日の思い出」の謎

ヘッセの「少年の日の思い出」はなぜ日本にしか存在しないのか?

書き直した後にタイトルを変更したため

ヘッセの「少年の日の思い出」は、第一次世界大戦に従軍する前に書いた作品を10年以上後に書き直し、タイトルも変更して日本にのみ存在する貴重な作品。

初期のノスタルジックな雰囲気を残しつつ平易な言葉で書かれており、静かに流れる穏やかな文体の中に、自分自身を責めさいなむ棘のような残酷な痛みが隠喩されている。

高校生に問いかけると、印象深く心に残る作品となる。

詳しくみる ⇒参照元: 小説読解 ヘルマン・ヘッセ「少年の日の思い出」その1~情景描...

辛い記憶との向き合い方

語り手の「ぼく」は、辛い記憶をどのように乗り越えようとしている?

他人に話す

かつての辛い記憶は、現在を照らす「光」になっていないが、語り手の「ぼく」はそれを掘り起こして他人に話すことで、客観的に見つめ、受け入れようとしている。

悩みや辛いことは他人に語れるまでになると乗り越えていると言われるように、この段階に達した「ぼく」は、辛い時期を乗り越えている可能性がある。

ただし、物語では「ぼく」がその後どうなったかは描かれていないため、彼の真の克服の過程は不明である。

詳しくみる ⇒参照元: ヘルマンヘッセ「少年の日の思い出」①

少年の日の思い出の投影

少年の日の思い出で投影されているのは誰?

作者のヘルマン・ヘッセ

ヘルマン・ヘッセの小説「少年の日の思い出」では、現実場面の「私」、「客」、回想場面の「僕(客)」、そしてエーミールがヘッセ自身の投影と考えられる。

この仮説は、ヘッセの書き物机に片羽がとれたチョウの標本があったことから導き出されている。

チョウの標本はエーミールを連想させ、ヘッセが自身の大切なものが壊されたときの感情や、罪を犯す側の心理をエーミールと僕に投影したのではないかと推測される。

詳しくみる ⇒参照元: 少年の日の思い出 私感

消えない過去の光と痛み

子供の頃の失敗や恥ずかしい思い出は大人になってもどのような影響を与えるのか?

心に強い衝撃を残す

子供の頃の失敗や恥ずかしい思い出は、大人になってからも心に強い衝撃を残すことがあります。

大人になってからも忘れることができない光と痛みとして残り、日々の生活の中では忘れていても、決して消えることはありません。

BUMP OF CHICKENの歌詞には、消せない傷は忘れても確かに存在し、それすらも自分の光として捉えるというメッセージが込められています。

詳しくみる ⇒参照元: ヘルマンヘッセ「少年の日の思い出」①

少年の日の思い出:トラウマの真実

作者は、少年が収集した宝物の蝶をなぜ粉々に押しつぶしたの?

後悔と恥と絶望

ある少年は、自身の収集した宝物の蝶を後悔と恥と絶望のあまり全て指で粉々に押しつぶしてしまう。

この物語は、「キレられるよりもつらい」というセリフが印象的で、ドイツ語圏ではほとんど知られていないにも関わらず、日本では国語の教科書に載せられているほど有名である。

このセリフは流行語となり、バッグやTシャツなどの商品にもなっている。

詳しくみる ⇒参照元: ヘッセの短編「少年の日の (みじめな)思い出」が日本語でしか...