ウトロ地区の平和祈念館?差別と闘いの歴史とは!?
💡 ウトロ地区は、戦時中の京都飛行場建設に動員された朝鮮人労働者が住み始めた場所です。
💡 戦後、彼らは差別と貧困に苦しみながらも、土地とコミュニティを守るために闘争を続けました。
💡 2022年4月に開館予定の「ウトロ平和祈念館」は、ウトロの歴史と住民たちの闘争、人権と平和の大切さを後世に伝えることを目的としています。
では、まずはウトロ地区の形成と歴史についてお話します。
ウトロ地区の形成と歴史
ウトロ地区は、戦後も多くの労働者が帰国を希望したものの、故郷での生活基盤が破壊されたため、日本に残留せざるを得なかった場所なんですね。

✅ ウトロ地区は、戦時中に日本政府や国策企業によって進められた京都飛行場建設のために動員された朝鮮人労働者が住み始めた場所です。戦後、彼らは差別と貧困に苦しみながらも、土地とコミュニティを守るために長年にわたる闘争を繰り広げてきました。
✅ ウトロ住民は、1987年に土地所有権が「西日本殖産」に転売されたことをきっかけに、立ち退きを要求され、長年にわたる裁判と運動を続けました。2007年に土地の売買契約が締結され、土地問題は決着しましたが、政府による戦後補償は行われていません。
✅ 2022年4月に開館予定の「ウトロ平和祈念館」は、ウトロの歴史と住民たちの闘争、人権と平和の大切さを後世に伝えることを目的としています。かつて朝鮮人労働者らが暮らしていた宿舎「飯場」も施設に近接して移設され、当時の生活を再現する予定です。祈念館は、ウトロ住民と支援者たちの思いが詰まった場所となることが期待されています。
さらに読む ⇒〈일화로 보는 령도의 자욱〉섬마을에 안고오신 첫돌선물出典/画像元: https://chosonsinbo.com/jp/2021/06/30-47/ウトロの人々は、差別と貧困の中で本当に大変な思いをされてきたんですね。
京都府宇治市にあるウトロ地区は、太平洋戦争中の京都飛行場建設のために集められた朝鮮人労働者の宿舎跡に形成された集落です。
戦後も多くの労働者が帰国を希望しましたが、終戦により故郷での生活基盤が破壊されたため、日本に残留せざるを得ませんでした。
劣悪な環境の中で助け合いながら暮らしたウトロの人々は、戦後は民族教育に力を入れましたが、差別の象徴として蔑まれ、生活インフラも整備されませんでした。
そうやな、戦争ってホンマに人の人生を狂わせるんやな。
ウトロ地区の苦難と支援
ウトロの人々は、本当に困難な状況に置かれていたんですね。

✅ 1940年代の京都飛行場建設に動員された在日朝鮮人労働者たちが、戦後も住み続け形成されたウトロ地区は、差別と貧困の中で生活を余儀なくされてきました。
✅ ウトロの人々は、民族教育や生活改善を求める運動を続け、困難な状況の中でも、日本人支援者や韓国市民社会、政府の支援を得て、強制退去の危機を脱しました。
✅ 現在は、ウトロ地区の街づくりが進められており、歴史を記録し未来へつなぐ「ウトロ平和祈念館」の建設に向けて、日韓で「ウトロ平和祈念館建設推進委員会」が発足しています。
さらに読む ⇒ウトロ平和祈念館 出典/画像元: https://www.utoro.jp/historyそれでも、諦めずに運動を続け、支援を得て、強制退去の危機を脱出したことは本当に素晴らしいです。
1986年から始まった生活改善を求める運動により、1988年に上水道が敷設されましたが、土地の所有者が転売し、住民たちは強制退去の危機にさらされました。
この危機に対して、日本人支援者らと協力して「ウトロを守る会」が結成され、その後も数々の支援活動が行われました。
また、韓国政府からも支援があり、2007年に住民による土地購入が実現しました。
2008年には「ウトロ地区住環境改善検討協議会」が発足し、2018年にはウトロ市営住宅第1期が完成しました。
そうよ、ウトロの人たちは強いわよ!
ウトロ平和祈念館の設立
過去に起きた放火事件は、ウトロ地区の現状を改めて浮き彫りにしましたね。

✅ 戦前、京都飛行場建設のために集められた朝鮮人労働者によって形成されたウトロ地区は、帰国困難な人々が生活基盤を築き、差別と偏見の中で生き延びてきた。
✅ 土地所有者の転売によって住民が不法占拠に追い込まれた過去があり、近年では韓国政府の支援によって土地購入が進み、市営住宅の建設などが行われている。
✅ しかし、2021年に放火事件が発生し、「朝鮮人が嫌い」という動機が明らかにされたことから、差別と偏見が根強く残っている現状が浮き彫りになった。
さらに読む ⇒弁護士ドットコム|無料法律相談・弁護士/法律相談事務所検索ポータル出典/画像元: https://www.bengo4.com/c_18/n_14417/差別と偏見は、決して許されるものではありません。
2021年、ウトロ地区で発生した放火事件がきっかけとなり、住民らはウトロの歴史を伝える「ウトロ平和祈念館」をオープンしました。
祈念館では、住民たちの苦難の歴史や、平和の大切さを伝える展示が行われています。
副館長を務める金秀煥さんは、長崎の原爆資料館や平和公園を訪れ、平和を伝える方法について学びました。
また、慰霊碑をめぐる問題にも直面し、民族や国籍によって認識が異なる部分もあると実感したそうです。
え、まじ!?そんな事件があったんか!?
ウトロ平和祈念館の意義
ウトロ平和祈念館は、ウトロの歴史を伝えるだけでなく、日韓市民の交流を促進する重要な役割を担いますね。

✅ 宇治市伊勢田ウトロ地区に、在日コリアンの歴史を学び、交流・連帯の拠点となる「ウトロ平和祈念館」がオープンしました。
✅ 同館は、戦前、京都軍事飛行場建設のために集められた在日朝鮮人の歴史を写真や動画、資料、住民の証言などで紹介する常設展示場、企画展示場、交流のための多目的ホール、屋外展示場などを備えています。
✅ 開館式では、館長や駐大阪大韓民国総領事、宇治市長などから、同館が韓日市民の交流と協力、そして平和の発信拠点となることを期待する声が寄せられました。
さらに読む ⇒京都民報Web | 京都がよくわかる新聞『週刊しんぶん京都民報』が発信するWebニュース出典/画像元: https://www.kyoto-minpo.net/archives/2022/05/14/post-28125.php日韓市民の交流と協力、そして平和の発信拠点として、ウトロ平和祈念館が大きく貢献してくれることを期待しています。
ウトロ平和祈念館は、ウトロの歴史や日韓市民による支援活動、人権と平和の大切さを伝える施設です。
また、地域の人々や日本と朝鮮半島の未来を担う人々の交流の場としても機能します。
平和祈念館の建設には、日韓市民や韓国政府から支援が集まり、ウトロの歴史と居住権を守る取り組みの成果として建設されました。
そっか、ウトロの歴史とか知っとくのも大事やね!
ウトロ平和祈念館の現在と未来
ウトロ平和祈念館は、日韓の市民が共に平和について考えることができる貴重な場所ですね。
公開日:2022/05/06

✅ 京都府宇治市のウトロ地区に、地域の歴史を伝える「ウトロ平和祈念館」が開館しました。
✅ ウトロ地区は、第二次世界大戦中に国策事業だった京都飛行場建設のために朝鮮人労働者が集められ、終戦後も子孫の在日コリアンらが暮らしてきた場所です。
✅ 祈念館は、立ち退きを巡る闘いや地区の劣悪な環境など、在日コリアンの歴史と苦難を伝えるとともに、日韓共生への願いを込めた「平和と人権の学びの場、出会いの場」を目指しています。
さらに読む ⇒ニュースサイト出典/画像元: https://mainichi.jp/articles/20220506/ddn/010/040/014000cウトロ地区の歴史と人々の苦難を伝えるとともに、日韓共生への願いを込めた「平和と人権の学びの場」として、多くの人に利用されてほしいです。
ウトロ平和祈念館は、在日コリアンの歴史や人権、平和について伝える施設です。
京都府宇治市のウトロ地区にあり、金土日月曜日に開館しています。
ウトロ地区は、かつて朝鮮半島から来た労働者たちが住み着いた地域で、差別や貧困にさらされてきました。
平和祈念館は、ウトロの歴史や日韓市民による支援活動、人権と平和の大切さを伝える展示を行っています。
また、地域の人々や日本と朝鮮半島の未来を担う人々の交流の場としても機能しています。
現在、平和祈念館では、第1回企画展「ウトロに生きた人々」が再展示されています。
あんたたち、ウトロ地区はね、これからも平和な場所になるのよ!
ウトロ平和祈念館は、歴史を学び、平和について考える重要な場所です。
ぜひ、訪れてみてください。
💡 ウトロ地区は、戦時中の京都飛行場建設に動員された朝鮮人労働者が住み始めた場所です。
💡 戦後、彼らは差別と貧困に苦しみながらも、土地とコミュニティを守るために闘争を続けました。
💡 2022年4月に開館予定の「ウトロ平和祈念館」は、ウトロの歴史と住民たちの闘争、人権と平和の大切さを後世に伝えることを目的としています。