富士山麓の上九一色村にあるサティアン跡地の地図で見る教団施設の場所
ライターのMariaです。今回は、富士山麓の上九一色村にあるサティアン跡地の地図で見る教団施設の場所を紹介します。
教団の闘いの記録
教団の闘いの記録を残すために、江川さんたちが新しく購入したものは何ですか?
専用ロッカー
九五年三月二十日、地下鉄サリン事件のニュースを見た時に「オウムがやったな」と直感した。
サリンは過去に異臭騒ぎが起きた「第七サティアン」辺りで製造したと思った。
残念ながらその通りだった。
山梨県旧上九一色村にあったオウム真理教の施設に、監視日誌やガスマスク、ヘルメットなど千点以上を、専用ロッカーに保管した。
詳しくみる ⇒参照元: 地下鉄サリン25年 オウムとの闘い後世へ 旧上九一色村の住人...サティアン跡地で歴史を学ぶ
サティアンの過去を知るために、どのような場所を見ましたか?
富士ケ嶺公園
上九一色村にはかつてオウム真理教のサティアンがあった。
そこには信者の宿泊施設やサリンの製造工場があり、いくつかの死亡事件・殺人事件も起きた。
サティアンは解体され、現在は富士ケ嶺公園として整備されている。
公園内にはサティアン跡地と慰霊碑があり、過去を知るために訪れることができる。
詳しくみる ⇒参照元: 富士ケ嶺公園でオウム真理教サティアン跡地&慰霊碑を見るサティアンの真理
牧場ばかりの風光明媚な土地に建てられた「サティアン」とは何と呼ばれていたか?
真理
風光明媚な土地に建てられたオウム真理教の施設「サティアン」は、サンスクリット語で「真理」を意味し、第2サティアン、第3サティアンなど複数の施設があった。
第2サティアンでは記録に残っている殺人事件が2件起きており、元信者や信者を監禁し、殺害したものであった。
詳しくみる ⇒参照元: 富士ケ嶺公園でオウム真理教サティアン跡地&慰霊碑を見る住民が保存するサティアンの歴史
サリン事件の発生から25年後、山梨県旧上九一色村の住民は、どのような行動を起こしているか?
教団との闘争の歴史を保存する活動
地下鉄サリン事件から25年後、オウム真理教の拠点施設「サティアン」があった山梨県旧上九一色村の住民が、教団との闘争の歴史を保存する活動を開始しました。
教団対策委員長を務めた江川透さんは、地下鉄サリン事件を起こしたオウムが確かにこの地にいたという事実を残したいと語っています。
住民らは、オウム真理教の活動を住民らが交代で記録した「監視日誌」を保存し、教団との闘争の歴史を後世に伝えようとしています。
詳しくみる ⇒参照元: 地下鉄サリン25年 オウムとの闘い後世へ 旧上九一色村の住人...オウム真理教強制捜査
警視庁が行った強制捜査はいつ行われたか?
1995年3月22日
オウム真理教のサティアンに警視庁が強制捜査を行い、麻原彰晃が逮捕された。
この捜査では、数百名に及ぶ警察官とマスコミ取材班が現地に張り付き、毒ガスの使用も懸念されたため、陸上自衛隊の化学防護隊も出動し、村は一時期混乱状態に陥った。
詳しくみる ⇒参照元: 上九一色村