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飯島延浩の息子が語る山崎製パンの歴史

ライターのAnnaです。今回は、山崎製パンの歴史についてお話します。飯島延浩の息子である飯島将成氏が、どのように山崎製パンを経営してきたのか。その歴史について詳しく見ていきましょう。

山崎パン創業者の解任と和解案

ヤマザキパン創業者は、自身の兄弟を社長から解任したとき、どのような人事を行ったか?

和解案により、自身の社長就任と息子の社長就任を決定

1976年、山崎製パン取締役会は、創業者の飯島藤十郎氏の解任を決定した。

解任に賛成した取締役は8名、反対した取締役は7名であり、社内には大きな分断が生じた。

創業者である飯島藤十郎氏は、この決定を不服として裁判に持ち込むなど、山崎製パンの「お家騒動」として話題になった。

和解案として、創業者の飯島藤十郎氏が山崎製パンの取締役社主に就任し、弟の飯島一郎氏が代表取締役社長を退任(在任期間1977〜1979年)し、飯島藤十郎氏の息子である飯島延浩氏が代表取締役就任社長に就任する人事案での妥結となった。

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山崎製パン社長飯島延浩氏の在任期間

飯島延浩氏が山崎製パンの社長に就任したのはいつ?

1979年

飯島延浩氏は1979年から2022年の現在に至るまで、43年間山崎製パンの社長を務めている。

山崎製パンは1988年に国内パンの販売シェア1位を獲得し、日本のトップパンメーカーの座を維持した。

しかし、1992年以降は売上成長が微増となり、価格競争により低収益が続いている。

2015年には売上高1兆円を突破したが、利益率は1%台に低迷している。

詳しくみる ⇒参照元: 山崎製パンの歴史