沢田研二と伊藤エミの派手な比叡山ド派手な別居生活とは?沢田研二が作詞作曲した名曲「帰らない日のために」は、妻・伊藤エミに贈った愛の歌でした。
ライターのYUKOです。今日は、沢田研二と伊藤エミの派手な比叡山ド派手な別居生活についてお話しします。
伊藤エミと沢田研二の結婚
芸能界を引退した歌手は誰?
伊藤エミ
伊藤エミさんは、1959年に双子の妹と共にザ・ピーナッツとして歌手デビューしました。
1975年にジュリーこと沢田研二さんと結婚し、結婚と同時に芸能界を引退しました。
ジュリー沢田研二との結婚までの馴れ初めは明かされていませんが、2人は恐らく歌番組での共演が縁になったと思われます。
伊藤エミさんは沢田研二さんより7歳も年上で、沢田研二さんはセクシーで魅力的で圧倒的なスターだったため、どうして伊藤エミさんを選んだのか。
知りたいことはたくさんありました。
伊藤エミさんと沢田研二さんの結婚式は、比叡山延暦寺で行われました。
詳しくみる ⇒参照元: 伊藤エミの結婚相手はジュリー沢田研二。馴れ初めや結婚式、死因...沢田研二の海外進出
沢田研二が海外進出を試みた時期はいつか?
1974年と1975年
沢田研二は1973年に「危険なふたり」で日本歌謡大賞の大賞を受賞し、ソロ歌手として転身。
翌年から海外進出を意識し、1974年にフランスでMIDEMに参加。
同年9月にロンドンとフランスでレコーディングを行い、1975年にイギリスとフランスでシングルとアルバムをリリースして海外デビューを果たした。
詳しくみる ⇒参照元: 沢田研二27歳〜海外進出、結婚、そしてキャリア最大のヒット曲ジュリーとエミさんの比叡山結婚披露コンサート
ジュリーとエミさんの結婚式はどの山で行われた?
比叡山
ジュリーとエミさんは1975年に結婚し、比叡山で結婚披露コンサートを行った。
制作費は2,000万円以上かかり、ファン2万人を無料で招待した。
比叡山へのケーブルカーやバス代に何百円かを上乗せして捻出した。
比叡山・蛇ヶ池人工スキー場のスロープの下に幅50メートル、高さ15メートルの特設ステージを築き、40台のアンプを設置し、150個のスピーカーを両サイドに積み上げた。
1975年7月20日当日、朝早くから、京都駅などから比叡山まで約500台のバスで観客をピストン輸送した。
なんと2週間前から、平安神宮のバスのりばで並んでいたファンもいたそうです。
渡辺プロからの要請で、京都府警から警官100名、大阪パトロール会社のガードマン100名、場内整理のアルバイト学生300名も動員された。
詳しくみる ⇒参照元: 沢田研二と元妻・伊藤エミの比叡山ド派手結婚式がヤバすぎる!な...沢田研二と伊藤エミの息子さんの名前
沢田研二の息子さんの名前は?
澤田一人
沢田研二の結婚生活は12年で、2人の結婚生活は淡々としていたようです。
1983年に田中裕子との不倫が発覚し、離婚になりましたが、伊藤エミさんは最後まで沢田研二さんを愛していたようです。
伊藤エミさんと沢田研二さんの間には、1979年3月に誕生した息子さんが一人いらっしゃいます。
息子の名前は澤田一人【写真】伊藤エミさんの息子さんは「澤田一人(かずと)」さんというお名前です。
詳しくみる ⇒参照元: 伊藤エミの結婚相手はジュリー沢田研二。馴れ初めや結婚式、死因...