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五摂家:日本の貴族制度における序列と家柄

ライターのAnnaです。今回は、五摂家についてご紹介します。日本の貴族制度における序列と家柄について探ってみましょう。

藤原氏の祖・藤原鎌足と五摂家の源流

藤原鎌足が賜った最高位は何か?

大織冠

藤原氏は藤原鎌足が藤原姓を賜ったことで始まり、鎌足の娘が天皇の皇后になるなど権勢を強めた。

鎌足の息子・不比等は藤原四家の中で最も力のある北家の祖となり、その子孫が天皇の外戚として権勢を振るった。

鎌足が倒した蘇我氏は、天皇の権威を弱めるほど権勢を強めていた。

律令制度の基礎を築いた鎌足は、大化の改新に貢献した功績が認められて大織冠を賜った。

詳しくみる ⇒参照元: 「五摂家」とは、どのような家柄? すごいといわれる理由や歴史...

摂家:公家の家格の頂点

摂家の中でも特に権勢を振るった人物は?

藤原道長

摂家とは、藤原氏嫡流で公家の家格の頂点に立った5つの家柄(近衛家、一条家、九条家、鷹司家、二条家)のことです。

摂家は、大納言から太政大臣までの要職を歴任し、藤氏長者も選出しました。

平安時代中期に成立した摂家は、基経流が他氏や藤原氏諸流と一線を画した家柄として扱われるようになりました。

九条流が主導権を握り、道長は内覧・一上として朝廷政治を掌握し、摂関政治の最盛期を築きました。

道長の子孫は御堂流と呼ばれ、嫡子である頼通は50年にわたって摂関を務めました。

しかし、後三条天皇の即位や院政期の到来により、御堂流嫡流の権勢は陰りを見せました。

詳しくみる ⇒参照元: 摂家

藤原氏の末裔、五摂家とは

五摂家とはどのような家系なのか

藤原氏の末裔

五摂家とは、藤原氏の末裔であり、近衛家、鷹司家、二条家の3家が現在も京都御苑に邸宅跡を残しています。

藤原氏の子孫は「藤原」の姓を名乗っていませんが、これは「氏」と「名字(苗字)」が異なるためです。

藤原氏は飛鳥時代に中臣鎌足が中大兄皇子の「大化の改新」に協力したことに起源を持ちます。

詳しくみる ⇒参照元: 藤原氏の子孫は今も健在!摂関家「五摂家」を分かりやすく説明

五摂家:華族の筆頭

五摂家の令嬢は、明治時代以降どのような役割を果たしていたのか?

皇太子妃として

五摂家は明治維新後華族に列せられ、公爵位を授けられた。

華族の筆頭とされ、昭憲皇后や貞明皇后は五摂家の出身である。

華族令が廃止されるまでは、財産保護、特権享受などの特権があった。

現在も五摂家は続いており、各家に当主がいるが、直系ではない養子もいる。

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清華家の由来と特徴

摂関政治期に大臣・大将に任命された藤原氏以外の家柄は?

源氏

清華家は五摂家に次ぐ家格で、主に大臣・大将を兼ねた太政大臣になれる7つの家(三条、西園寺、徳大寺、久我、花山院、大炊御門、菊亭)を指す。

その家格は、摂関政治が衰退し、外戚となった家系が形成したことに由来する。

この家格の特徴は、大臣・大将への昇進だけでなく、娘が皇后になれる資格があること。

平清盛や源頼朝も清華家の家格を獲得していたため、子弟が大臣・大将になり、娘が皇后になることができた。

室町時代には歴代室町殿が大臣・大将を歴任し、豊臣政権下では五大老も清華成を果たし、武家清華家として扱われた。

詳しくみる ⇒参照元: 清華家

清華家と歴史上の人物

武田信玄の正室は、どのような家柄の出身か?

清華家出身

清華家は、朝廷で高い地位を占める7つの家柄で構成されています。

武田信玄の正室である三条夫人は、この三条家の出身でした。

また、内閣総理大臣を二度務めた西園寺公望も、清華家出身で、徳大寺家に生まれ、西園寺家に養子に出されました。

清華家は藤原北家の流れをくんでおり、五摂家や冷泉家、武者小路家、飛鳥井家なども清華家の一族です。

詳しくみる ⇒参照元: 藤原氏の子孫は今も健在!摂関家「五摂家」を分かりやすく説明