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藤原道長と紫式部、禁断の恋の真相?「この世をば」の歌に隠された、衝撃の事実とは!?

藤原道長と紫式部、禁断の恋の真相?「この世をば」の歌に隠された、衝撃の事実とは!?

📘 この記事で分かる事!

💡 道長は紫式部の才能を高く評価し、娘の彰子の教育係に任命しました。紫式部は彰子に和歌や物語の執筆を指導し、彰子のサロンを宮廷きっての文化サロンに育て上げました。

💡 道長と紫式部の関係は主従関係にとどまらず、恋愛感情が芽生えていた可能性を示唆する史料が数多く残されています。道長が紫式部に宛てた和歌には、露骨な求愛の表現が含まれており、紫式部もまた、道長に宛てた和歌でそれに応えています。

💡 また、紫式部の小説『源氏物語』には、道長との恋愛体験が反映されているという説があります。作中に登場する光源氏は道長をモデルにしたのではないかと言われ、ヒロインの紫の上は紫式部自身を投影したものと考えられています。

お送りするこの記事では、平安時代の二大スター、藤原道長と紫式部がどのような関係にあったのかを解説いたします。

彼らの和歌や日記、手紙などの史料を基に、二人の関係の謎に迫ります。

紫式部と藤原道長の関係

平安時代中期、政治の実権を握っていた藤原道長と、日本文学史上最高傑作『源氏物語』の作者である紫式部。

二人は身分こそ違えど、その才能と感性を認め合い、生涯にわたるソウルメイトだったと言われています。

彼らの関係は、単なる主従関係を超えた、男女の情愛に満ちたものでした。

紫式部と藤原道長の関係と道長はどんな功績を残した人物なのか?(歴ブロ)
紫式部と藤原道長の関係と道長はどんな功績を残した人物なのか?(歴ブロ)

✅ 藤原道長は娘を天皇に嫁がせて権力を掌握しただけでなく、紫式部を支援し、日本語の「ひらがなとカタカナ」の普及に貢献した。紫式部は『源氏物語』の作者として宮中で評判が高く、道長は紫式部を雇うことで、娘彰子を魅力的な女性に教育させようとした。また、平安時代は漢字から「ひらがなとカタカナ」が生まれた時代でもあり、男性は漢字とカタカナ、女性は平仮名で文章を書く習慣が定着した。この考え方を緩和させたのが道長で、道長が自分の娘を教育するために詩や物語の才能がある女性を集めたことで、女流作家たちが存在し、平仮名で文学作品が書かれるようになった。

✅ 道長は娘彰子の家庭教師として紫式部を雇った。紫式部は『源氏物語』の作者として宮中で評判が高く、道長は紫式部を雇うことで、彰子を魅力的な女性に教育させようとした。紫式部日記に記された「女郎花のエピソード」や「梅の枝のエピソード」から、道長と紫式部の間に恋愛感情があったのではないかと推測されている。

✅ 紫式部日記に記された「女郎花のエピソード」や「梅の枝のエピソード」から、道長と紫式部の間に恋愛感情があったのではないかと推測されている。女郎花のエピソードでは、道長が紫式部に女郎花を贈って歌を催促し、梅の枝のエピソードでは、道長が紫式部を口説いたとされている。ただし、これらのエピソードは紫式部日記に記されたものであり、確証はない。

さらに読む ⇒Yahoo!ニュース出典/画像元: https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/e52cb3a647342908c1f7b4bdedaadfa1d0ce6c70

何と言っても注目したいのは、道長が紫式部に宛てた和歌の数々。

そこには、単なる主従関係を超えた、男女の情愛が色濃く表れています。

例えば、道長は紫式部に「すきものと名にし負へば見る人の折らで過ぐるはあらじとぞ思ふ」という和歌を送っています。

これは、「あなたは恋多き女だと噂されていますが、あなたを見る人がそのまま通り過ぎるはずはありません。

私もあなたに惹かれています」という意味です。

紫式部は藤原道長の娘・彰子の家庭教師を務めていました。

これは、道長が娘を天皇の寵愛を受けさせ、権力を得るために、娘の教育係として紫式部を雇ったためです。

紫式部は『源氏物語』の作者として宮中で評判が高かったため、道長は紫式部を雇うことで、彰子を魅力的な女性に教育させようと考えました。

愛人関係であったという説もありますが、確証はありません。

紫式部の『紫式部日記』には、道長が紫式部に女郎花を贈って歌を催促した「女郎花のエピソード」や、道長が紫式部を口説いた「梅の枝のエピソード」が記されています。

これらから、道長と紫式部の間には恋愛感情があったのではないかという推測がされています。

確かにそう思うと、紫式部の『源氏物語』って、道長との恋愛体験がモチーフなんじゃないかと考えちゃいますね。

『源氏物語』の執筆と道長

また、道長は紫式部の執筆活動を支援し、続きを催促していた可能性があります。

紫式部の『紫式部日記』には、道長が紫式部に「源氏物語」の続きを書くよう催促したという記述が複数見られます。

紫式部と藤原道長』(倉本 一宏):講談社現代新書
紫式部と藤原道長』(倉本 一宏):講談社現代新書

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さらに読む ⇒書籍情報満載! お気に入りの一冊に出会える書籍ポータルサイト 講談社BOOK倶楽部出典/画像元: https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000381209

『源氏物語』の執筆が、道長と紫式部の関係に影響を与えたのは間違いないでしょう。

紫式部は『源氏物語』の中で、道長をモデルにした光源氏を理想的な男性として描き、紫式部自身の恋愛観や理想を投影しています。

道長は『源氏物語』の執筆を支援し、続きを催促していた可能性があります。

紫式部が『源氏物語』を書き始めたのは、道長が彰子の家庭教師として紫式部を雇った頃とされています。

道長は紫式部の才能を高く評価しており、執筆を支援していたと考えられます。

また、紫式部の『紫式部日記』には、道長が紫式部に『源氏物語』の続きを催促したという記述があります。

これらから、道長が『源氏物語』の執筆に深く関わっていたことが窺えます。

この時代には、女の人がここまで活躍できるなんて、すごいことじゃったのじゃよ。

ドラマ『光る君へ』での描写

2024年の大河ドラマ『光る君へ』では、紫式部と藤原道長が運命の絆で結ばれた「ソウルメイト」として描かれています。

光る君へ(吉高由里子・柄本佑主演)が描く紫式部と源氏物語、歴史通の読売新聞ベテラン記者が考察 : 読売新聞

公開日:2024/04/16

光る君へ(吉高由里子・柄本佑主演)が描く紫式部と源氏物語、歴史通の読売新聞ベテラン記者が考察 : 読売新聞

✅ NHK大河ドラマ『光る君へ』では、紫式部と藤原道長が運命の絆で結ばれた「ソウルメイト」として描かれ、二人の関係は「儀礼的な挨拶程度の戯れ歌」ではなく、男女の関係をにおわせるものであるとされている。しかし、ドラマでは二人が幼なじみだったという説を否定し、偶然の出会いから物語が始まっている。

✅ ドラマでは、『源氏物語』の主人公・光源氏と若紫の出会いのシーンなど、『源氏物語』のオマージュが随所に見られる。また、紫式部が自らの体験を『源氏物語』の創作に投影している可能性も示唆されており、ドラマでは式部と道長との関係が『源氏物語』の恋愛模様に影響を与えたかのように描かれている。

✅ 道長は、娘の彰子を一条天皇に入内させ、天皇の外祖父になることで権力を得ようとした。そこで、式部に『源氏物語』を書かせて一条天皇の寵愛を得るよう仕向けたとされる。紫式部も道長の狙いを知り、続きが読みたくなるような恋愛小説を執筆した。道長は高価な料紙を提供して式部を支援し、式部の執筆活動が進むにつれて権勢を手に入れていった。

さらに読む ⇒読売新聞オンライン : ニュース&お得サイト出典/画像元: https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20240108-OYT8T50098/

ドラマでは、二人の出会いや恋愛模様が史実と異なる形で描かれているものの、二人の間に特別な感情があったことは否定できません。

ドラマでは、紫式部が道長の息子・頼通の家庭教師として仕え、そこで道長と出会い、惹かれ合っていくという設定になっています。

ドラマ『光る君へ』では、漢詩の会で道長が紫式部への秘めた思いを白楽天の詩に重ねて表現しました。

このシーンは、道長が紫式部に好意を抱いていたことを暗示しています。

また、紫式部と清少納言の初対面では、藤原公任の詩の評価をめぐってやり取りがありました。

このシーンは、紫式部と清少納言という二人の才女の出会いと、彼女たちの才能を対比させています。

キャー、ドラマめっちゃ楽しみやわー!

道長の「望月」の歌と元微之

道長といえば、誰もが知る有名な和歌「望月」の歌を詠んでいます。

望月の歌・この世をば・・・~藤原道長の栄華と紫式部の歌
望月の歌・この世をば・・・~藤原道長の栄華と紫式部の歌

✅ 藤原道長の「望月の歌」は、権力の絶頂期にあった道長が詠んだ歌で、その歌詞は「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることなしと思へば」であり、自分の思うようにならないものはない、満月に欠けるものがないように、自分の権勢も永遠に続くであろうという思いが込められている。また、道長が白楽天の詩に影響を受けていたため、「望月の歌」には白楽天の詩の表現が取り入れられている。

✅ 「望月の歌」は、道長の四女・威子が皇后となった祝宴の席で詠まれた。このとき、道長は藤原実資に対して和歌を詠むよう求め、実資は望月の歌を詠んだ。実資は道長の歌を絶賛し、出席者全員で何度も望月の歌を詠じた。

✅ 「望月の歌」は、実は紫式部が後一条天皇の誕生を祝って詠んだ「めづらしき光さしそふさかづきはもちながらこそちよもめぐらめ」という歌を真似たものだという説がある。この説によると、道長は自分の栄華を満月に例えたのではなく、娘たちを満月に例えて詠んだ可能性がある。また、「望月の歌」が詠まれた夜は満月ではなかったという説もあり、この説が正しいとすれば、道長は満月にちなんで詠んだのではなく、娘たちの栄華を願って詠んだということになる。

さらに読む ⇒�������j�߂���`���q�E�ޗǁE���s�E�ɓ��E����E��������Ȃǁ`出典/画像元: https://www.yoritomo-japan.com/etc/murasaki-sikibu/others/mitinaga-motidukinouta.html

この歌には、道長の権勢に対する自負と、紫式部への秘めた思いが込められているとされています。

「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることなしと思へば」という歌詞は、自分の思うようにならないものはない、満月に欠けるものがないように、自分の権勢も永遠に続くであろうという思いを表しています。

また、この歌には、紫式部への思いも込められていると考えられています。

「望月」とは、満月のことを指しますが、同時に、紫式部の名前にもかけています。

道長が漢詩の会で詠んだ歌は、後に有名な「望月」の歌と関連しています。

この歌は、道長が権力の絶頂にあったときに詠んだもので、その権勢を誇示しています。

また、道長と元微之との親友関係が強調されているのは意味深です。

元微之は白楽天の親友で、白楽天の詩に影響を受けていました。

道長が元微之を強調しているのは、白楽天の詩を通じて紫式部に自分の思いを伝えようとしていたのかもしれません。

けど、その裏には、紫式部への愛があったんやろうね。

道長の手紙

さらに、道長が紫式部に手紙を送り、恋愛感情を告白したという記録も残されています。

紫式部が藤原道長の愛人だったって本当? 噂の関係を調査!
紫式部が藤原道長の愛人だったって本当? 噂の関係を調査!

✅ 紫式部は、夫を亡くした後、女手一つで娘を育てていたが、その教養を藤原道長に認められ、娘の彰子の女房兼教育係として仕えることになった。道長は、彰子のサロンを活気づけ、天皇の足が向くように紫式部を雇用したと考えられる。

✅ 紫式部の日記には、道長から「すきもの(恋多き浮気者)」とからかわれたり、夜這いを受けたりしたことが記されている。また、道長が紫式部に朝露に濡れたおみなえしを手折って差し出し、紫式部がそれを受けて和歌を詠み交わすなど、かなり色っぽいやり取りも見られる。

✅ しかし、道長の正妻である倫子が紫式部に菊の着せ綿を贈り、「老けている」と嫌味を言う場面もあり、道長と紫式部の関係を倫子が良く思っていなかったことが窺える。また、彰子が皇太后になると紫式部は彰子の元を離れて内裏を去ったが、これは道長の意向によるものと考えられる。

さらに読む ⇒和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!出典/画像元: https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/230808/

この手紙には、「あなたへの思いを抑えることができません。

あなたと結ばれたいと思っています」といった内容が書かれています。

紫式部が道長の思いを受け入れたかどうかは不明ですが、二人が互いに惹かれ合っていたことは確かでしょう。

道長は紫式部に手紙を送り、「伊勢物語」の名歌を引用した愛の歌を記しました。

この手紙は、道長が紫式部に恋愛感情を抱いていたことを示しています。

紫式部は道長の手紙に返事を書いていないため、道長の思いが叶ったかは不明です。

のうのう、女はモテてなんぼじゃよ。

藤原道長と紫式部、二人の禁断の恋は、今もなお多くの人々の想像力をかき立てています。

🚩 結論!

💡 身分を超えた二人の関係は、当時としては異例のことでした。しかし、二人の残した和歌や手紙には、揺るぎない愛と情熱が込められています。

💡 平安時代の光と影、藤原道長と紫式部の恋物語は、これからも語り継がれていくことでしょう。紫式部の『源氏物語』は、二人の恋愛をモデルにしたものだとか、道長が紫式部に執筆を依頼したものだとか、さまざまな説が唱えられています。しかし、真相は闇の中です。二人の関係は謎に包まれ、だからこそ人々を惹きつけ続けるのです。

💡 道長と紫式部の恋は、平安時代を代表するロマンチックな物語です。二人の残した作品や史料から、彼らの関係の一端を垣間見ることができます。これからも、この禁断の恋物語は、人々を魅了し続けることでしょう。