菊池和子の『きくち体操』とは?~半世紀の指導から生まれた健康法とは?~菊池和子さんが生み出した『きくち体操』の魅力とは?
2歳で大火傷を負いながらも、独自の体操『きくち体操』を創始した菊池和子。体の仕組みを理解し、脳と連携して全身の力を引き出す『命の体操』は、半世紀にわたり多くの人に希望を与えてきた。指先の意識が体を蘇らせる秘訣。年齢を重ねても健康的な体を取り戻せる。菊池さんの想いが詰まった体操で、心身ともに豊かな人生を。
💡 菊池和子氏が生み出した『きくち体操』は、体の軸を意識し、心身の健康を目指す体操です。
💡 幼少期の火傷経験と、体育教師としての経験が、きくち体操誕生の背景にあります。
💡 きくち体操は、年齢や体力に関わらず誰でもできる、実践的な健康法です。
それでは、菊池和子先生の生い立ちから、きくち体操誕生の背景、そしてその特徴まで、詳しく見ていきましょう。
幼少期と困難な道のり
菊池和子さんはどんな困難を乗り越えてきたの?
火傷と喪失の経験
菊池和子先生の幼少期の経験は、その後の体操指導に大きな影響を与えましたね。

✅ 菊池和子さんは、幼少期に右手を大やけどした経験から、不自由な体でも工夫して生きていくことを学びました。また、母から「自立した女性になるように」と教えられ、困難にも屈せず、自信を持って生きていく力を身につけました。
✅ 高校時代には卓球で秋田県代表として国体に出場するなど、体育に打ち込んだ菊池さんですが、公立中学校の体育教師時代には、技術偏重の体育教育に疑問を感じ、体と心の成長を促す新しい体操の必要性を感じ始めました。
✅ その後、母親仲間からの依頼がきっかけで体操教室を開き、きくち体操が誕生しました。きくち体操は、体の構造や機能を理解し、体の軸を意識することで、心身ともに健康になることを目指す体操です。
さらに読む ⇒ハルメク|女性誌部数1「ハルメク」公式サイト出典/画像元: https://halmek.co.jp/exclusive/c/tips/1609菊池和子さんの幼少期の経験は、まさに逆境を乗り越える力そのものですね。
卓球での活躍も素晴らしく、その後の活動に繋がったのは素晴らしいです。
菊池和子さんは、1934年秋田県角館で生まれました。
2歳の時に囲炉裏で火傷を負い、右手を大やけどしてしまいます。
しかし、不自由な手を克服しようと工夫を重ね、その経験から『きくち体操』を創始しました。
幼少期は、父が戦争に出征し、母は病気で亡くなり、祖母に育てられました。
中学時代には卓球を始め、高校では秋田県代表として国体に出場するほどの実力に。
戦後、父は再婚し、継母と暮らすことになりました。
えー、めっちゃすごいな! 困難を乗り越えて、自分の力で道を開拓したって感じやん! なんか、かっこええわ!
教師から体操指導者へ
きくち体操の始まりは?
母親仲間への体操指導
菊池先生の体操指導への道のりは、まさに情熱と使命感にあふれていますね。
公開日:2024/03/25

✅ 菊池和子さんの「きくち体操」は、半世紀かけて熟成された「命の体操」で、足の裏から頭のてっぺんまでピンと張り詰めた軸がぶれない姿勢を重視する。
✅ きくち体操では、手足の指先まで意識して動かすことで脳と体のつながりを深め、姿勢を正すことで臓器の働きを改善することを目指す。
✅ きくち体操の原点は、菊池和子さんが幼少期に負った火傷の後遺症克服と卓球部での練習経験にある。学校体育の限界を感じ、自分の体の仕組みを理解し、意識的に動かすことの大切さを説いている。
さらに読む ⇒出典/画像元: https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b107003/学校の体育教育への疑問から、きくち体操が生まれたのは、革新的ですね。
母親たちの生き生きとした姿を見るために体操を広めたというエピソードも素敵です。
日本女子体育短期大学を卒業後、東京の企業に就職しますが、1年で退職し、教師の道を歩みます。
公立中学校の体育教師として、技術よりも体と命の大切さを教えることの重要性を痛感し、体育教育のあり方に疑問を抱きます。
結婚後、ワーキングマザーとして働きながらも、母親仲間から体操を教えはじめたことが『きくち体操』の始まりです。
当初は、自分のために時間を使うことに罪悪感がありましたが、体操を通して、母親たちが生き生きとした表情を見せる姿に喜びを感じ、体操の普及活動に邁進していくようになりました。
いやー、俺も体のこととか意識するの、ちょっと見習わんとね!罪悪感ってとこ、ちょっと共感したった!てへ。
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指先から全身を意識!菊池和子の『きくち体操』は、脳と体をつなぐ命の体操。体の仕組みを理解し、健康で豊かな人生を!