暴走族(カミナリ族)って何?誕生から衰退、そして現代の行方…(?)暴走族の歴史:カミナリ族から現代の旧車會まで
1950年代、爆音を轟かせた「カミナリ族」から始まった日本の暴走族文化。革ジャンに身を包み、改造バイクで街を駆け抜ける姿は、社会問題として注目を集め、一時は若者の憧れでもあった。しかし、厳格な取り締まりや価値観の変化、少子化の影響で姿を消しつつある。それでも、そのDNAは受け継がれ、形を変えながら現代社会に影響を与え続けている。暴走族の歴史は、若者文化と社会の変遷を映し出す鏡だ。
💡 1950年代に登場したカミナリ族は、改造バイクと爆音で街を席巻。暴走族の原型となった。
💡 1960年代後半、暴走族は社会問題化。警察の取り締まり強化と社会の変化が減少の要因に。
💡 現代では旧車會など多様化。違法行為や暴力団との関わりも指摘され、対策が求められる。
それでは、暴走族の歴史を紐解きましょう。
時代背景とともに、彼らの姿がどのように変化したのか、詳しく見ていきます。
カミナリ族の誕生
カミナリ族、バイク爆走! 何が彼らをそうさせた?
改造バイクと不良文化への憧れ。
みなさん、こんにちは!今回は、昭和の時代を駆け抜けた「暴走族」について深掘りしていきます。
彼らのルーツや文化、そして社会への影響を、詳しく見ていきましょう。
公開日:2016/03/03

✅ 日本で「◯◯族」という言葉が使われ始めたのは1948年の「斜陽族」で、太宰治の小説がきっかけだった。
✅ その後、「社用族」など、ファッションとは関係なく特定の属性を持つ人々の呼称として「族」が使われるようになった。
✅ 暴走族の元祖とされるのは、オートバイを乗り回した「カミナリ族」で、海外の不良少年たちの影響を受けて生まれた。
さらに読む ⇒男子専科 official (日本最古の男性ファッション誌)出典/画像元: https://danshi-senka.com/archives/266カミナリ族は、海外の不良文化を参考に、革ジャンとバイクで街を駆け抜けたんですね。
映画『理由なき反抗』の影響も大きかったようです。
1950年代半ば、日本に「カミナリ族」という名の新たな若者文化が登場しました。
彼らは、高価なバイクを改造し、爆音を響かせながら街を駆け抜ける集団でした。
彼らのスタイルは、革ジャンにデニムという出で立ちで、海外の不良少年文化の影響を強く受けており、映画『理由なき反抗』を彷彿とさせるものでした。
彼らは「暴走族」の原型となり、戦後のモータリゼーションの発達とともに、その姿を現しました。
えー、暴走族って、ちょーカッコ悪いイメージやったけど、ルーツは不良文化とか、ちょっと興味湧いてきたわ!革ジャンとか憧れるやん?
暴走族という呼称の定着
暴走族が社会問題化したきっかけは?
プレスライダーの登場と、集団での威嚇行為のエスカレート。
暴走族という呼称が定着するまでの過程を追ってみましょう。
彼らのスタイルがどのように確立され、社会に浸透していったのか、見ていきます。
公開日:2022/03/27

✅ 暴走族のバイクのデザインは、元々は1960~70年代の新聞社バイク便「プレスライダー」のスタイルを模倣したものである。
✅ 初期の暴走族のルーツは、速度を重視した裕福層の子供たちによる「カミナリ族」で、バイクの騒音走行が特徴だった。
✅ プレスライダーは風防、絞りハンドル、旗などを装備しており、暴走族の旭日旗もプレスライダーが使用していた社旗の名残の可能性がある。
さらに読む ⇒ニホンシログ出典/画像元: https://nihonshi.hatenablog.com/entry/motorcycle-gangなるほど、暴走族のスタイルは、バイク便の人たちの影響を受けていたんですね。
社会問題として注目されるようになったのは、モータリゼーションによる渋滞も関係していたとは。
カミナリ族は、当初はルーレット族に近い形態でしたが、次第に集団での威嚇行為や抗争がエスカレートし、市民への迷惑行為が目立つようになりました。
1960年代後半、モータリゼーションによる渋滞問題を解決するため、報道機関が渋滞に強いバイク便『プレスライダー』を採用したことで、暴走族のスタイルが確立され、彼らは社会問題として注目されるようになりました。
1969年には名古屋市テレビ塔付近での騒動、1972年には富山県富山市での騒動が起き、マスコミは彼らを「暴走族」と呼ぶようになり、警察もこの呼称を使用するようになりました。
いやー、昔のバイク便って、あんなカッコよかったんやね!俺も、ちょっと絞りハンとか憧れるわー。でも、暴走族はちょっと…怖いっちゃけどね。
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1970年代に隆盛を極めた暴走族。映画の影響、社会問題化を経て、警察の取り締まり強化と価値観の変化で衰退。現代でも活動形態を変えながら存在し、その姿は時代を映す。